ヒーローに恋をして
「すみません、散らかってて」
 自分が誘ったわけでもない客人を招き入れるのに、どうして謝らないといけないのか。理不尽だな、と思いながら一応口にする。実際部屋はけっこうな散らかりようで、黙って人を通すのは抵抗があった。

 部屋はその人の心理状況を表わす、なんてよく言ったものだ。
 降って湧いたマネージャーと役者という二足のわらじ生活のおかげで、この数週間部屋には寝に帰るだけ。いつ積んだのか記憶にない郵便物とチラシの山がローテーブルの上で雪崩を起こしていて、その周りにマグカップと空のペットボトルが散乱している。衣装ケースに仕舞うのが面倒になった服が脱ぎ散らかした状態で床に折り重なって、その上にはリモコンや箱ティッシュが転がっていた。二十五歳の女の子の部屋らしいのは薄ピンクのカーテンくらいだ。

 気まずい思いをごまかすように洋服の山を押しやって、人が座れるスペースをつくる。
「えーと、どうぞ」
 なんとなくできた空間を示しながら、これからどうしようかと考える。壁にかかった時計は十二時を数分過ぎたところ。これから風呂に入って寝るだけの時間。なのだけど、この二つが問題だ。

 コウはおとなしく洋服の間の空間に収まって、興味深げに辺りをキョロキョロと見ている。桃子は服の山の中に下着がないことにホッとしながら、またもどうしようと頭を悩ませる。

「えっと、寝るのはこっち」
 ワンルームのアパートに寝室なんてものはない。カーテンの脇に敷きっぱなしにしている布団を手で示しながら、
「私はそのへんで寝るので、使ってください。シャワーは玄関脇の」
「なんで、一緒に寝ようよ」
 桃子の説明をぶった切って、コウはさも当然のように言った。
「……いや、無理でしょ」
 タクシーの中で感じた疲れが再び押し寄せてくる。異国の言葉をつかう人と向かい合ってるようだ。
「女の子を床に雑魚寝なんてさせられないよ。まだ夜は寒いし」
「ならコウさん床で寝てください」
 そもそもそういうデリカシーがあるなら、今からでもタクシーサービスを使って帰宅してほしい。
 そう思いながら反論すると、
「えーやだよ。俺たち体が資本の商売なんだから、睡眠は大事だよ? 主演二人が睡眠不足で明日の撮影に影響が出たら困るでしょ」
 なんとなく正論ぽいことを言われて反論できない。突っ込みどころは山のようにある気がするのだが。ぶり返してきた疲れが、色々なことを考えるのを放棄させる。
 このまま深夜過ぎまで言い合いするよりも、さっさと寝てしまってもいいような気がしてきた。

「わかりましたよ。なら先、シャワー浴びてきてください」
「ももちゃん先でいいよ。たばこのにおい、早く取ったほうがいいし」
 言われて自分のシャツをスンと嗅ぐ。たしかに煙の臭いが染みついてる。桃子はいい加減慣れてしまったけど、このにおいコウはそんなに嫌いだったのか。

「わかりました」
 スライド式の洗面所のドアを引いて、そのまま閉める。その途端、足の力がぬけて座りこんでしまった。目を閉じて頭をドアにもたれかけると、室内からかすかな物音が聞こえてくる。コウによって、一人暮らしの部屋の静かな空気がかき混ぜられている。

「あー……もう」
 眉を寄せて、ぎゅっと目を閉じた。
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