ヒーローに恋をして
 シャワーを浴びて部屋着に着替えて戻ると、コウが桃子の布団に横から倒れるようにして眠っていた。緊張に強張っていた体が、ふっと緩む。
 そっと近づく。片手に台本を握りしめたままだった。端がぼろぼろになって、いくつもの折れ跡がついた台本。
台本から、眠るコウへと視線をずらした。

 睫毛、なが。

 心の中で呟く。肌に淡い影を落とす長い睫毛、艶のある黒髪。目の下は浅黒い隈がある。

 疲れてるんだな。

 あたりまえのことに気がつく。
 ずっと外国でモデルをして、日本に帰ってきた途端に映画の仕事をして。うそみたいに華々しいひとだ。
だけどこうやって、見えないところで努力してる。

 起こさないようにそっと手から抜き取った台本を、ぱらりと捲る。思った通り、無数の書き込みがしてあった。ボールペンで書きなぐって、ぐちゃぐちゃと書き直して、またそれを消して。余白スペースはほとんどない。
 
 やる気がないのは最低
 
 昼間マリコに言われた言葉がよみがえる。

 マリコも、城之内も、林も。そしてコウも。
 それぞれの立場で精いっぱい映画に向き合っている。
 
 ――なら、私は?

 いつか浮かんだ問いを、もう一度自分に投げかける。
 流されるように、ここまで来てしまった。カメラの前には立たないと、コウに宣言しておいて。
 眠っているコウの、かすかに揺れる睫毛をじっと見た。

 俺ひとり知ってるんですけどね。スケジュール空いてて、演技もうまい女優

「……どうして、あんなこと言ったの?」

 本読みの日、城之内に桃子を紹介した。なにか役があれば回してくれと、まるで自分が桃子のマネージャーのように。

「……コウさん」

 気がつけば、名前を呼んでいた。
 知りたい、と思った。

「コウさん」

 どくどくと、鼓動が体の内側で震える。
 もう、いろいろなことに気づかない振りはできない。
 
 私は知っていきたいんだ。

 どうしてマネージャーにしたの?
 どうしてヒロインに選んだの?

 俺はずっとももちゃんに会いたかった。だから日本に帰ってきたんだ
 
 あれは、ねぇ、どういう意味なの。

「――コウ」

 ぱちりと、音もなく。
 コウが目を覚ました。
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