ヒーローに恋をして
「Excuse me」

 ドキリと焦って、頭の中で言葉が揺れる。咄嗟に英語が出てきてしまった。
「Let me see,……あの、ももちゃんはいますか」 
「ももちゃん?」
 そのひとは、コウの言葉を繰り返すとたばこをふっとふかした。まだ若い。三十歳よりは前に見える。金縁の丸めがねを胸元がよれたグレーのTシャツでごしごしと拭く。
「そんな名前のタレント、うちにはいないけど」
 めがねを外したその顔を、じっと見た。見覚えがある、この顔。よれたTシャツ。

 きみもヒーローになれるよ

 声が頭に響く。息を飲んだ。

「あなた」
 おもわず大きな声が出る。
「ももちゃんを、スカウトしたひと」
 そのひとが、訝るように目を細めた。コウはかまわず、スーツケースから手を離して近寄った。
 
 このひとだ。まちがいない。明るかった髪色は黒に戻っているけど。
 あの公園でのロケ。
 コウの前で桃子に声をかけた横顔は、このひとだった。

「ももちゃん、どこですか!」
「だから、そんな名前」
「トウコ! トウコは? 俺、トウコに会いに来たんです!」
 トウコ、の名前にそのひとが目を丸くする。表情の変化に、桃子が本当にこのビル――この芸能プロダクションにいるんだと知って、胸が高鳴る。

「きみ、だれ」
 それまでより少し低い声。細められた目は、縄張りを侵そうとする侵入者を見定めているようだった。

 その変化に怖じることなく、はっきりと答えた。
「俺はももちゃん――トウコの、幼なじみです」

 おさななじみ? そのひとは口の中で言うと、半歩後ろに下がる。全身をジロジロと見られた。
 不躾な視線に肌の下がムズムズする。でも目をそらさなかった。なんとなく、そらしてはいけない気がした。

「ふぅん」
 満足したのか興味が失せたのか、判別しがたい声。たばこを持っていた手が尻ポケットを探り、手渡されたのは名刺だった。四年前桃子にだけ渡された小さな紙には、宇野、と名前が書かれていた。
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