ヒーローに恋をして
「すいません、ちょっと通ります!」
 次のシーンの撮影に備えて、スタッフが照明機材を動かしていく。ビリ、ビリと破かれるガムテープの音。床のあちこちに立ち位置になるバッテン印が貼られていく。置きます、せーの! スタッフの声が重なり合う。

 宇野は俯いてメガネのツルを指で押した。
「聞いたんだろ、コウから」
「――はい」
 頷いて、宇野を見つめる。指に隠れたその表情はよく見えない。

「そうですね、嫌いです」
 ふいに別の声がして、同時に肩を引き寄せられる。
 
 城之内と話していたはずのコウが、すぐ隣に立っていた。宇野が僅かに目を見張る。

「でも、感謝もしてます。約束通り、ももちゃんを守ってくれた」
 肩を抱いたままコウが言う。周りのスタッフがふしぎそうな顔で振り返っているのに、気にする様子もない。焦って肩を抱く手から逃れようとするけど、力は強く解けそうになかった。
「再開します!」
 城之内の声が聞こえる。

「ももちゃん、いこ」
 コウが手を伸ばす。その手を取りかけて、ふっと宇野を振り返った。
 宇野が両腕を組んで、桃子を見ている。

 きみもヒーローになれるよ

 十二年前そう言って、桃子をこの世界に導いてくれた人。

「見ててください」

 宇野に向かって言っていた。
 
 七年前、宇野がコウを手に入れるために桃子を引きぬいたとしても。今からでも、見ていてほしい。
 トウコという役者を。

 宇野が眼鏡の奥の目を見張った。驚いてる宇野なんて、久しぶりに見る。ふふっと笑った。

「ももちゃん」

 少し焦れたようにコウが言って、桃子の手を掴んだ。そのまま歩きながら、小さい声で言う。

「あのひとさ、はじめからももちゃんのこと引き抜くつもりだったと思うよ」
「え?」
 前を歩くコウの後ろ姿を見上げる。コウは振り返ることなく続けた。

「宇野さん言ってたじゃん、最初にマネの話したとき。ももちゃんにとって、これはチャンスなんだって」

 トウコにとってもチャンスだと思うんだ。生かすかどうかは、おまえ次第だけどな

 宇野の言葉を思い出して、小さく頷く。手を引かれるままに歩いていると、
「あれ聞いた時、なんだって思った。ちゃんとももちゃんのこと考えてる人じゃんって。だから多分、俺のことがなくても、宇野さんはももちゃんを助けたと思う」

 おもわず宇野を振り返ろうとすると、それを制するようにコウがつなぐ手に力を込めた。

「見ないで」

 鋭い声。駄々をこねる子どものようでもある。
「俺が宇野さんのこと嫌いなのは本当なんだから」
「どうして」
「いろいろあるけど、一番は」
 桃子の指先を握る手が強い。痛いくらいだ。指先の熱が桃子にも伝わる。

「あのひとは、ももちゃんのことを知ってる。俺がいない時のももちゃんを、全部見てる」
 こちらを振り向いたコウの顔が近い。ここは仕事場で、たくさんのひとが周りにいて、それなのにそのことを忘れそうになる。鼓動がうるさく鳴っている。

「いいかげん、わかってよ。俺のことだけ考えてほしい。俺、全然余裕ないんだからね」
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