ヒーローに恋をして
余裕ないんだ、なんて言っておきながら、コウはみごとに切り替えて城之内の話を聞いている。
「ってナオトが言ったら、ユキはここ掴んで」
城之内が桃子の手を引いてコウの腕にもっていく。桃子は頷きながら、息を吸って呼吸を整えた。
余裕がないのは私の方だ。いつもいっぱいいっぱいで、こんなにドキドキしている。
心臓の音ってどうやったら静まるんだろう。台本に書いてあればいいのに。
そのとき扉の近くから、林の大きな声が聞こえた。振り返ると、
「お疲れさまで~す」
ユリアが周りのスタッフに手を振って立っていた。
「どうしたの?」
林が尋ねると、ユリアはニコニコ笑ったまま、
「足がようやく治ったので、みなさんにご報告に来ました」
この近くでロケしてたんですよ~と言いながら、片足を前へと突き出す。巻かれていた包帯は消え、きれいな白い足がショートパンツから覗いていた。
「そっかぁ、いやぁよかった」
喜んで手を叩く林に、
「おい」
城之内が鋭い声を投げる。
「今リハしてるんだけど」
途端にまずい、というように肩をすくめる林の横で、ユリアがニコッと笑って言った。
「じゃあ私、ここでちょっと見ててもいいですか? やっぱり気になるんですよね、出るはずだった映画って」
城之内の眉間に皺が寄った。体育館の壁にもたれて立っていた宇野が、ユリアをチラッと振り返る。
桃子はごくんと息を飲んだ。前にユリアが現場に来たときのことを思い出す。
やっぱりマネージャーさんには荷が重かったですよね。怪我してでも私がやったほうがよかったかなぁ?
笑いながら言われた、あの言葉が胸に痛かった。
「ももちゃん」
顔を上げると、コウが桃子を見ていた。凪いだ黒い目が笑ってる。心配そうには、見えない。
ワン・オン・ワンのように、向かい合う二人ができるゲームを楽しみにしてる、そんな顔だった。
ふっと呼吸が楽になった。気もちがあるべき場所へと戻っていく。
桃子がヒロインに決まったとき。絶対大丈夫だとコウは言った。
いつだって、一番ほしい言葉をくれる。
海を越えて、桃子のもとに駆けつけてくれた。そう、まるで。
まるでヒーローのように。
そのとき唐突に気がついた。
そうか、このひとが。
コウが、桃子のヒーローなんだ。
「大丈夫」
にこり。強張ることのない、自然な笑みが出た。
「私を信じて」
うまくやれるはずだ。
私には、ヒーローがついているのだから。
コウも笑った。
「ずっと信じてるよ」
なんだか泣きそうになって、それなのにあたたかい気もちがこみ上げてきた。
「本番!」
城之内が声を上げる。ライトがあたって、レフ板が背中に掲げられる。ピン、とピアノ線のように張り巡らされていく緊張感。もうだれも笑ってない。
シーンナンバーが書かれたカチンコがカメラの前に掲げられる。
コウを見る。コウも、桃子を見ていた。その目に語りかける。
ずっとヒーローになりたかった。
でも、ヒーローでもそうじゃなくても。
「はーい本番、シーン六十五、よーい」
私はコウの、隣にいたい。
「スタート!」
「ってナオトが言ったら、ユキはここ掴んで」
城之内が桃子の手を引いてコウの腕にもっていく。桃子は頷きながら、息を吸って呼吸を整えた。
余裕がないのは私の方だ。いつもいっぱいいっぱいで、こんなにドキドキしている。
心臓の音ってどうやったら静まるんだろう。台本に書いてあればいいのに。
そのとき扉の近くから、林の大きな声が聞こえた。振り返ると、
「お疲れさまで~す」
ユリアが周りのスタッフに手を振って立っていた。
「どうしたの?」
林が尋ねると、ユリアはニコニコ笑ったまま、
「足がようやく治ったので、みなさんにご報告に来ました」
この近くでロケしてたんですよ~と言いながら、片足を前へと突き出す。巻かれていた包帯は消え、きれいな白い足がショートパンツから覗いていた。
「そっかぁ、いやぁよかった」
喜んで手を叩く林に、
「おい」
城之内が鋭い声を投げる。
「今リハしてるんだけど」
途端にまずい、というように肩をすくめる林の横で、ユリアがニコッと笑って言った。
「じゃあ私、ここでちょっと見ててもいいですか? やっぱり気になるんですよね、出るはずだった映画って」
城之内の眉間に皺が寄った。体育館の壁にもたれて立っていた宇野が、ユリアをチラッと振り返る。
桃子はごくんと息を飲んだ。前にユリアが現場に来たときのことを思い出す。
やっぱりマネージャーさんには荷が重かったですよね。怪我してでも私がやったほうがよかったかなぁ?
笑いながら言われた、あの言葉が胸に痛かった。
「ももちゃん」
顔を上げると、コウが桃子を見ていた。凪いだ黒い目が笑ってる。心配そうには、見えない。
ワン・オン・ワンのように、向かい合う二人ができるゲームを楽しみにしてる、そんな顔だった。
ふっと呼吸が楽になった。気もちがあるべき場所へと戻っていく。
桃子がヒロインに決まったとき。絶対大丈夫だとコウは言った。
いつだって、一番ほしい言葉をくれる。
海を越えて、桃子のもとに駆けつけてくれた。そう、まるで。
まるでヒーローのように。
そのとき唐突に気がついた。
そうか、このひとが。
コウが、桃子のヒーローなんだ。
「大丈夫」
にこり。強張ることのない、自然な笑みが出た。
「私を信じて」
うまくやれるはずだ。
私には、ヒーローがついているのだから。
コウも笑った。
「ずっと信じてるよ」
なんだか泣きそうになって、それなのにあたたかい気もちがこみ上げてきた。
「本番!」
城之内が声を上げる。ライトがあたって、レフ板が背中に掲げられる。ピン、とピアノ線のように張り巡らされていく緊張感。もうだれも笑ってない。
シーンナンバーが書かれたカチンコがカメラの前に掲げられる。
コウを見る。コウも、桃子を見ていた。その目に語りかける。
ずっとヒーローになりたかった。
でも、ヒーローでもそうじゃなくても。
「はーい本番、シーン六十五、よーい」
私はコウの、隣にいたい。
「スタート!」