ヒーローに恋をして
 城之内がスーツとネクタイを身につける日はそう多くない。ほぼ一年中同じジーパンをはき、夏ならTシャツ、冬ならそのうえにダウンジャケットを羽織る。スタジオの中はライトの所為でいつも暑いし、監督は意外と駆け回ることも多いから、寒いのはロケくらいだ。林には、腹の上の肉が防寒になってるんだと揶揄されるけれど。

 そんな城之内がスタッフから支給されたスーツに身を包むのは、八ヶ月前の記者会見以来だった。コウが日本に来て開いた会見、宇野からサプライズゲストとして呼ばれていた。ゲストで、それもサプライズだから後半にちょっと出て、さっさと帰ればよかった。

 でも今日はそうはいかない。久しぶりに会う出演者やスタッフを見つけては立ち話をしながら、首元のネクタイを緩めたい気もちをやり過ごす。

「城之内さん」

 顔を上げると、コウが新しいマネージャーを連れて立っていた。会わない間にまた少し色気が増した気がする。

「おはようございます」

 よく通る声、伸びた背筋。忙しなく歩き回るスタッフが、チラチラとコウの様子を窺う。芸能人を見慣れている彼らでも、つい目で追ってしまう。
 この業界は、会社のように同じ人間とばかり仕事をすることがない。たくさんの人間を見ているうちに、スタッフと一言で纏められる彼らにもわかってくる。ずっと見ていたくなる人間、というのはいるのだと。
 それが所謂、スターの素質というやつなんだろう。

 そう思いながら城之内は台本に目を落とした。他人の書く台本で喋るというのは、いつも少し緊張する。それとも、今日だからだろうか。

 映画「トランジション・ラブ」完成披露試写会

 書かれた文字に片側の唇を上げると、髭を剃ったばかりの口元はいつもより涼しかった。
 
「緊張しますね」
 隣からした声に顔を上げると、色気の増した若者は言った。

「モデル時代から、初日っていつもドキドキするんです。見る人はどう思うだろう、俺はこれがすごく好きだけど、ほかの人はどう思うかなって」

 言葉は謙虚なのに、その目は挑むように前を向いている。あと数歩手の届かない場所に向かって、勢いをつけて飛び立つ寸前のような。若さと獰猛さ溢れる表情。ナオトを思い出した。
 だけどきっと、ちがう顔もできる。彼はまだ若いのだから。

「――――あ」

 不意にコウが、綻ぶように優しく笑った。彼の視線の先を追い、城之内は声を上げる。

 彼は――彼らはまだ若く、そして恋をしている。
 与えあっているその感情はきっと糧になる。そう信じるから、城之内は言う。

「また近いうちに会おう。新しい役があるんだ」

 若手役者は嬉しそうに笑った。
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