ショートショート集 ~パンドラの箱~
9薬の効果
男はある薬局の前にいた。
真剣な表情で店舗を睨みつけたまま立ち、そのままの状態で既に数十分経過している。
男は人生はじまって以来、最高点の緊張と興奮を感じていたのだ。
この興奮に繋がる情報を偶然手にしたのは、先日のことである。
まず情報を聞いて、彼は耳を疑った。
「それは本当か!」
興奮して情報提供者の胸倉をつかみ、怒気を荒げ問いつめた。
「嘘じゃない。信用するなら放してくれ……証明するから」
情報提供者は男の迫力に負けて、震えた声で答える。
突然の暴力から解放された情報提供者は、その場で咳込み、苦し気な表情を浮かべた。情報提供者が折れずに、続きを語ろうとしなければ、絞め殺していたかもしれない。
それだけ男の興奮は頂点に達していた。
早くしろと言わんばかりの男を見て、情報提供者が懐から瓶を取り出す。
瓶の中身は綺麗な赤い色をした液体だ。不気味でもあり、宝石のように煌めく美しい液体を、情報提供者は計量用の蓋に注ぐと、口に含んで一気に飲み干した。続けて霧吹きで、液体を全身に振り撒きはじめる。
男は情報提供者に、厳しい視線を向けながら見守った。
相手の言ったことが本当なら、信じ難い展開の目撃者となれるはずなのだ。
男が見守りはじめてから数十分経過すると、情報提供者の体が透けはじめ、続けて手足が消えてくる。
更に数分経った頃には、何処にいるのか全くわからなくなってしまった。
「どうだ? 俺が見えるか?」
情報提供者の声はするのだが、姿は見えない。
あまりの衝撃的な出来事に男が困惑していると、突然背中を押されて前に倒れこんだ。
何もないはずの空間から、情報提供者の笑い声だけが響き渡る。
信じていなかった奇蹟が間近で展開されている状況に、男は息を呑んだ。
情報提供者が、男に伝えたこと――
それは『透明人間になる薬』の入手方法であった。
「他言してはならない」それが、第一の注意事項であった。
「では、なぜ俺に話したんだ?」
男がそう質問すると、情報提供者はこう答えた。
「薬はまだ研究段階で研究費が必要であるというのと、実験体が欲しいというのが理由だ。俺は資金を提供してくれる実験体を一人、紹介してくれないかと頼まれたのさ。君は研究員が指定した実験体の条件に合うし、株でも成功している。口が堅いというのも知っている。だから話したんだ」
男は情報提供者とは長い付き合いで、幾らかの金を貸していた。返済を待ってほしいかわりの見返りと、情報提供者は語ったのだ。
うまいこと話が進んだのが、男にとって幸いした。
彼は在り来たりの人生に、嫌気がさしていたのだ。
変わった人生はないか。他の人が体感したことがないような経験は。
手元にあふれるような金があっても、物足りなさを感じる空虚感。そんな人生に別れを告げる瞬間が訪れたのである。
薬を入手できる場所を聞いて目的の薬局に辿りついた男は、半信半疑で立っていた。
外観は普通の薬局と変わりない。
すると、出入口の扉を開けて三人の背広姿の男たちが、腰を抜かしたような体勢で逃げ出していくのが見えた。
「幽霊薬局店だー」
妙な叫び声をあげた彼等は黒い車に乗りこむと、そのまま慌ただしく姿を消してしまった。
しかし、その一部始終を見つめていた男は結論づけた。
情報は真実であると――
自分が透明になったらしたいことは、幽霊まがいの悪戯だからだ。何もしていないのに物が落ちる。家電製品が動き出す。音が鳴る。
脅かした相手の顔を想像しただけで、笑いがこみ上げてくる。
逃げ出した男たちは、そんな透明人間たちの悪戯の被害者と捉えたのだ。
意を決した男は、薬局の手動ドアに手をかけ押した。
まるで来店客を歓迎するかのように、思いのほか扉は軽く簡単に開く。
「いらっしゃいませ。新規の方ですか?」
恰幅のいい責任者が声をかけてくると、男は更に緊張した。
第一声を間違えてしまえば嫌われて、二度と透明人間になる薬を拝めなくなるかもしれない。
絶対に手にしたい薬――手段はどうあれ、購入したかったのだ。
真剣な表情で店舗を睨みつけたまま立ち、そのままの状態で既に数十分経過している。
男は人生はじまって以来、最高点の緊張と興奮を感じていたのだ。
この興奮に繋がる情報を偶然手にしたのは、先日のことである。
まず情報を聞いて、彼は耳を疑った。
「それは本当か!」
興奮して情報提供者の胸倉をつかみ、怒気を荒げ問いつめた。
「嘘じゃない。信用するなら放してくれ……証明するから」
情報提供者は男の迫力に負けて、震えた声で答える。
突然の暴力から解放された情報提供者は、その場で咳込み、苦し気な表情を浮かべた。情報提供者が折れずに、続きを語ろうとしなければ、絞め殺していたかもしれない。
それだけ男の興奮は頂点に達していた。
早くしろと言わんばかりの男を見て、情報提供者が懐から瓶を取り出す。
瓶の中身は綺麗な赤い色をした液体だ。不気味でもあり、宝石のように煌めく美しい液体を、情報提供者は計量用の蓋に注ぐと、口に含んで一気に飲み干した。続けて霧吹きで、液体を全身に振り撒きはじめる。
男は情報提供者に、厳しい視線を向けながら見守った。
相手の言ったことが本当なら、信じ難い展開の目撃者となれるはずなのだ。
男が見守りはじめてから数十分経過すると、情報提供者の体が透けはじめ、続けて手足が消えてくる。
更に数分経った頃には、何処にいるのか全くわからなくなってしまった。
「どうだ? 俺が見えるか?」
情報提供者の声はするのだが、姿は見えない。
あまりの衝撃的な出来事に男が困惑していると、突然背中を押されて前に倒れこんだ。
何もないはずの空間から、情報提供者の笑い声だけが響き渡る。
信じていなかった奇蹟が間近で展開されている状況に、男は息を呑んだ。
情報提供者が、男に伝えたこと――
それは『透明人間になる薬』の入手方法であった。
「他言してはならない」それが、第一の注意事項であった。
「では、なぜ俺に話したんだ?」
男がそう質問すると、情報提供者はこう答えた。
「薬はまだ研究段階で研究費が必要であるというのと、実験体が欲しいというのが理由だ。俺は資金を提供してくれる実験体を一人、紹介してくれないかと頼まれたのさ。君は研究員が指定した実験体の条件に合うし、株でも成功している。口が堅いというのも知っている。だから話したんだ」
男は情報提供者とは長い付き合いで、幾らかの金を貸していた。返済を待ってほしいかわりの見返りと、情報提供者は語ったのだ。
うまいこと話が進んだのが、男にとって幸いした。
彼は在り来たりの人生に、嫌気がさしていたのだ。
変わった人生はないか。他の人が体感したことがないような経験は。
手元にあふれるような金があっても、物足りなさを感じる空虚感。そんな人生に別れを告げる瞬間が訪れたのである。
薬を入手できる場所を聞いて目的の薬局に辿りついた男は、半信半疑で立っていた。
外観は普通の薬局と変わりない。
すると、出入口の扉を開けて三人の背広姿の男たちが、腰を抜かしたような体勢で逃げ出していくのが見えた。
「幽霊薬局店だー」
妙な叫び声をあげた彼等は黒い車に乗りこむと、そのまま慌ただしく姿を消してしまった。
しかし、その一部始終を見つめていた男は結論づけた。
情報は真実であると――
自分が透明になったらしたいことは、幽霊まがいの悪戯だからだ。何もしていないのに物が落ちる。家電製品が動き出す。音が鳴る。
脅かした相手の顔を想像しただけで、笑いがこみ上げてくる。
逃げ出した男たちは、そんな透明人間たちの悪戯の被害者と捉えたのだ。
意を決した男は、薬局の手動ドアに手をかけ押した。
まるで来店客を歓迎するかのように、思いのほか扉は軽く簡単に開く。
「いらっしゃいませ。新規の方ですか?」
恰幅のいい責任者が声をかけてくると、男は更に緊張した。
第一声を間違えてしまえば嫌われて、二度と透明人間になる薬を拝めなくなるかもしれない。
絶対に手にしたい薬――手段はどうあれ、購入したかったのだ。