鬼に眼鏡
さて、雅夫が向かっているのは『花咲組』――と言っても『ぼ』のつく団体ではない。念のため説明するが、あくまでも建設会社である。
兄、遼平の言葉を信じて、雅夫は営業だけでなく現場業の仕事にも目を向けた。もし、職を失うことになっても、経験があれば有利になるとも計算したからだった。
到着時間は三分前――雅夫はスーツ姿で会社の入口に立つ。
いざ出陣! の気持ちで足を出した時、入口からスーツ姿の中年男性が出てきた。
「おはようございます!」
お辞儀は斜め四十五度を心掛けて頭を下げ、中年男性に元気よく挨拶をする。
「おはよう」
雅夫を見て挨拶を返し、立ち去って行った中年男性に恐れた様子は見えなかった。
今までの相手の反応は、「こいつ、営業に回せるか? 無理あんじゃね?」と言うような空気が僅かながらもあった。ようやく人並みの反応を見られたことで、雅夫はその場で静かに拳を握りガッツポーズする。
――ありがとうございます。神様、仏様、以下略で玲奈さま! 猪狩雅夫。ようやく人間としての第一歩に到達です。
ぐっと溢れかけた感動の涙を飲み込んで、いざ面接会場に――受け付け前に行った時が鼓動の最高潮で、雅夫は一番の難関にきていた。
すなわち、受付の女性に怖がられないかという段階である。
「すみません。十時に面接をお願いした、猪狩ですが……」
「はい、そちらの部屋でお待ちください。すぐに担当の者を呼びますので……」
雅夫の言葉が終わらないうちに、受付の女性は対応した。
本来はそれが普通の応対なのだろうが、普通に接してもらえていなかっただけに、何かもう採用されてもいないのに、雅夫は涙が出そうになる。
――もしかしたら今回はいけるんじゃないか。
そんな期待の中、扉が開いて入ってきた担当者は、
「あ、君はさっきの……」
先程、入口で挨拶をした中年男性だった。
「おはようございます。今日は、よろしくお願いします!」
取り乱すことなく雅夫は席を立ち、斜め四十五度のお辞儀をする。
「いいよ、別にかしこまらないで。いつも通りに気楽に本音を話してくれれば……」
そんな雅夫に、中年男性は意外な発言をした。
気楽に本音――今までなかった面接官の言葉に雅夫は戸惑いつつも着席する。
既に試されているのではないかと感じていた。
席に着いた男性は、雅夫にも座るように「どうぞ席に」と言うと、雅夫が渡した書類に目を通し始めた。
「えっと、名前は猪狩雅夫くん……今年高校卒業、社員希望か。時間の希望は?」
「ないです! いつでも働けます!」
この答えを何回したのか、雅夫は覚えていない。
それだけたくさんの場所に、面接に行っていた。
そして、ようやくつかんだ採用されそうな感覚――絶対、逃したくはなかった。
「続けられそうかな? 長い間、働ける?」
「はい! 頑張らせていただきます!」
飾らない本心のまま、雅夫は答えた。あちこち受けて落ちて続けてきたからこそ、仕事をしたいという意志は強かった。
「うちの会社を選んだ理由は?」
――そう言えばなんでだろう。雅夫は面接官と目を合わせながら動きをとめた。
今回で面接は二十回目。ほとんどの会社が、その質問をしてきた。
その度、雅夫は迷わずこう答えてきた。
「安定した企業という点と、貴社の方針に感動したのが一番の理由です」と。
雅夫は思う。だけど、実際はそうじゃなくて――
兄、遼平の言葉を信じて、雅夫は営業だけでなく現場業の仕事にも目を向けた。もし、職を失うことになっても、経験があれば有利になるとも計算したからだった。
到着時間は三分前――雅夫はスーツ姿で会社の入口に立つ。
いざ出陣! の気持ちで足を出した時、入口からスーツ姿の中年男性が出てきた。
「おはようございます!」
お辞儀は斜め四十五度を心掛けて頭を下げ、中年男性に元気よく挨拶をする。
「おはよう」
雅夫を見て挨拶を返し、立ち去って行った中年男性に恐れた様子は見えなかった。
今までの相手の反応は、「こいつ、営業に回せるか? 無理あんじゃね?」と言うような空気が僅かながらもあった。ようやく人並みの反応を見られたことで、雅夫はその場で静かに拳を握りガッツポーズする。
――ありがとうございます。神様、仏様、以下略で玲奈さま! 猪狩雅夫。ようやく人間としての第一歩に到達です。
ぐっと溢れかけた感動の涙を飲み込んで、いざ面接会場に――受け付け前に行った時が鼓動の最高潮で、雅夫は一番の難関にきていた。
すなわち、受付の女性に怖がられないかという段階である。
「すみません。十時に面接をお願いした、猪狩ですが……」
「はい、そちらの部屋でお待ちください。すぐに担当の者を呼びますので……」
雅夫の言葉が終わらないうちに、受付の女性は対応した。
本来はそれが普通の応対なのだろうが、普通に接してもらえていなかっただけに、何かもう採用されてもいないのに、雅夫は涙が出そうになる。
――もしかしたら今回はいけるんじゃないか。
そんな期待の中、扉が開いて入ってきた担当者は、
「あ、君はさっきの……」
先程、入口で挨拶をした中年男性だった。
「おはようございます。今日は、よろしくお願いします!」
取り乱すことなく雅夫は席を立ち、斜め四十五度のお辞儀をする。
「いいよ、別にかしこまらないで。いつも通りに気楽に本音を話してくれれば……」
そんな雅夫に、中年男性は意外な発言をした。
気楽に本音――今までなかった面接官の言葉に雅夫は戸惑いつつも着席する。
既に試されているのではないかと感じていた。
席に着いた男性は、雅夫にも座るように「どうぞ席に」と言うと、雅夫が渡した書類に目を通し始めた。
「えっと、名前は猪狩雅夫くん……今年高校卒業、社員希望か。時間の希望は?」
「ないです! いつでも働けます!」
この答えを何回したのか、雅夫は覚えていない。
それだけたくさんの場所に、面接に行っていた。
そして、ようやくつかんだ採用されそうな感覚――絶対、逃したくはなかった。
「続けられそうかな? 長い間、働ける?」
「はい! 頑張らせていただきます!」
飾らない本心のまま、雅夫は答えた。あちこち受けて落ちて続けてきたからこそ、仕事をしたいという意志は強かった。
「うちの会社を選んだ理由は?」
――そう言えばなんでだろう。雅夫は面接官と目を合わせながら動きをとめた。
今回で面接は二十回目。ほとんどの会社が、その質問をしてきた。
その度、雅夫は迷わずこう答えてきた。
「安定した企業という点と、貴社の方針に感動したのが一番の理由です」と。
雅夫は思う。だけど、実際はそうじゃなくて――