鬼に眼鏡
「猪狩くん、思ったことを正直に言ってくれればいいよ」
 採用してくれそうな会社に、自分を偽ってまで勤めていいのか。本当の自分を知ってもらったほうがいいのではないか――そんな気持ちが雅夫の口からかたちとなった。
「実は俺、ここに来るまでにいくつか面接を受けてきたんです。けど、はじから不採用で……原因は強面の顔だと思って、今日は眼鏡を掛けてきて――」
「いいよ、そのまま続けて」
 一息吐いた雅夫に、面接官は優しい声を掛けて続きを話すことを促す。
「俺、始めは給料がいいとか近所だからとか、そういう理由で選んできたんです。眼鏡を掛けた理由も、そういう場所に採用されるなら、そうしたほうがいいと思っていました。けど、いくつも落ちてわかったことがあって……」
「わかったこと?」
「本当は俺、どこでもいいんです。俺を認めてくれて、仕事を任せてくれる場所なら……認めてもらえることが一番の幸せだと思うんです。それが最後まで続ける力になるって」
 全てを話し終えて、雅夫は気が楽になっていた。認めてもらう第一歩は外見、その必需品が『眼鏡』という手段だった。
 しかし、第一印象だけでは自分の魅力は伝わらない。本当の自分を偽っている気がしてならなかった。
 だから本当のことを言った。相手がどう思うか心配だったが、言わずにはいられなかった。
 雅夫の言葉を最後まで真剣に聞いてくれていた面接官が席を立つ。
 思いがけない行動に、雅夫の心臓の鼓動は頂点に達した。
「猪狩くん、仕事場見学しようか。そのほうがやる気も出るだろうから……」
 それは採用の言葉に間違いなかった。顔を上げた雅夫は面接官を見る。
「いつから来れる? 出来れば早めに入社してくれたほうが、即戦力になるから来てほしいんだけど」
「ありがとうございます! 頑張らせてもらいます! 来月の二十日が卒業式です!」
 雅夫は喜びで叫びたい気持ちだった。ようやく自分を認めてくれた会社で働ける。
 眼鏡のお陰? 本心を語れたお陰? それとも面接官の人柄の良さ?
 どれが第一の理由かわからなかったが、とにかく採用である。
 その時だった。
「お客さん! 困ります!」
 受付にいる女性の、悲鳴に近い声が聞こえてきた。
「責任者はいるか? 話をさせろ」という、男の怒りに満ちた声も混じって聞こえる。
 騒がしい足音は、徐々に雅夫がいる部屋に近づいてきた。
 猪狩雅夫は、見た目とは正反対で喧嘩が大嫌い。優しさが取り柄の平和主義者である。
 だから、雅夫は争いに巻き込まれないようにと世界各国の神様に祈った。
「責任者! 出てこい!」
 ところが無情にも、男の怒号とともに扉は開けられてしまった。
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