鬼に眼鏡
 第三者の自分に傷を負わせたことが、男たちの動揺につながったのだと雅夫は思った。
 しかし、
「あ……」
 次の瞬間、雅夫の視界に『ある物体』がうつった。頓狂な声を出して、雅夫は息を呑む。
 足元に落ちていたのは、レンズが割れ、フレームが変形した眼鏡だった。
 殴られた拍子に眼鏡が飛んで、壊れてしまったのである。
「宮本さん……」
 男たちが恐怖で声を震わせる。雅夫はただ男たちを見つめていた。
 それを男たちは、睨みつけられていると感じたのだろう。
 電車内の話から察するに『宮本』という男は、かなり権力のある人間だと感じていた。これを利用しない手はないと咄嗟に、雅夫の頭の中で閃きがかかる。
「今、大事なところなんだから、帰ってくれないか」
 押し殺すほどの低い声で、男たちに向け雅夫は言った。勿論、面接官にも女性事務員にも、声が聞こえないようにして――
「帰ります! 失礼しました!」
 人が変わったように男たちは、正直に事務所から出ていく。
 足音が階段を駆けおり、車が走り去るのを確認してから、雅夫は眼鏡を取ると掛けた。
「あの……怪我はないですか?」
 振り返った雅夫は倒れこんだままの面接官と、唖然としている女性事務員を見る。
 顔を見られたのは明白であった。不採用の言葉が面接官の口から出るのを覚悟した。
「大丈夫……あの……その……猪狩くん」
 答えた面接官の声は震えていた。そして、次の言葉は――
「入社の時には必ず眼鏡を掛けてきて……お願いだから」
 不採用でもなく、雅夫に眼鏡を直すことを面接官は頼み、
「僕は見掛けより、人柄を大事にするよ。但し、お客さんは違うだろうけどね……」
 雅夫が勤務する会社として望んでいた誠意の言葉を、面接官は言ってくれた。
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