エスパーなあなたと不器用なわたし
クリスマス・イブ
 十二月二十二日、金曜日。

「塚本、ちょっと来てくれ」

 いつものように電話応対に追われている最中、ちょっと席外しますと柴田くんが居なくなった隙をねらったかのように、部長が声を掛けて来た。

 部長はわたしを窓際に呼んだ。
 えっ?
 これって初の雷?
 そそうをした覚えは無いんだけど。
 ドキドキしながら近づくと、部長は他の社員に聞こえないように耳元で小さく話した。

「お前、クリスマスイブはあいつとデートか?」
「そうですけど何か?」
「いや別に。まあ、気をつけて楽しんで来い」
「部長、一番にお電話です」
「わかった」

 気をつけてって、どういう意味ですか? と聞こうとしたけれど、外線が入って断念した。
 わたしは、自分の席に戻った。
 気をつけてって何よ。
 彼と付き合って半月余り。
 三日に一回はデートして来たけど、まだ彼とはキスもしていない。
 結婚するまでは・・・と思っているくせに、何も無いのはちょっと物足りなくなって来たみたい。
 キスだけなら・・・いいよね?


 十二月二十四日、日曜日。
 
 彼と付き合い出して初めてのクリスマス・イブ。
 毎日が充実していて、もっと長く付き合っているような気がする。
 今日は、朝からデート中だ。
 彼へのクリスマスプレゼントもバッグに入ってる。
 何がいいのかわからなくて、デパートの紳士服売場を行ったり来たり。
 結局、紺色に白のドットのネクタイにした。

 辺りが茜色から紫がかって闇へと変わる頃、彼が予約してくれたホテルのレストランの窓側の席に居た。
 十五階にあるので、外の景色が一望出来る。
 今晩は、眠らない街になるんじゃないかと思えるくらい、いろんな色の明かりが輝いていた。

「柴田くん、今日は誘ってくれてありがとう」
「俺さ、お前が入社して来た時からずっとかわいいなと思ってたんだ」
「・・・」
「智、愛してる」
 
 智、愛してる・・・
 嬉しかった。
 季節はまだ冬だけど、わたしの心には春がやって来た。

 フランス料理のコースを食べた後、
「それじゃ行こうか」と、部屋のカードキーを見せる柴田くん。

「えっ?」
「部屋を取った。今夜は君を帰さない」

 彼に手を引かれ、エレベーターに乗り込んだ。
 彼が押したのは、二十三階のボタンだった。
 エレベーターの扉が開き、わたし達は廊下を歩く。
 長い廊下に人影は無く、とても静かだった。

 カードキーを差し込む彼。
 そして、ドアが静かに開いた。

「入ろう」
 
 そう言われて部屋の中に目をやった途端、おじけづいた。
 やっぱり怖い。

「ごめん。わたし、結婚する人にしか許したくないの」
「はぁ? いまどきそんな女いないって。結婚して、体の相性が悪かったって事になったらどうする? それなら、結婚前に知っておいた方がいいんじゃない?」
「・・・」
「わかってる。初めてなんだろ? 俺、優しくするから」

 彼はわたしの手を引いて中に連れ込もうとする。

「ダメ。やっぱりわたし帰る」
「ここまで来てそれはないよ」
「ごめんなさい。あなたの事は好きだけど、やっぱりダメ」

 忘年会の時と同じように、わたしの心に警戒音が鳴り響いた。

「だったら結婚しよう。約束したらいいだろ?」
 
 だったら?
 だったらって何?
 結婚って、そんなに簡単な言葉なの?
 ただわたしを抱きたいだけでしょ?
 わたしの気持ちなんか、考えてくれてないんだわ。

「ごめんなさい」

 彼に背を向けて歩き出す。

「くそっ! いいさ、女ならまだいる」

 その言葉に思わず振り向く。
 その時、部屋のドアが静かに閉まった。
 
 嫌われちゃったよね?
 今戻って、部屋のドアをノックすれば間に合うかもしれない。
 結婚する人にしか体を許さない。
 その考えを捨てれば、彼を失わなくて済むかもしれない。
 胸が苦しい。
 彼の事、本気で好きだった。

 結局、わたしはドアの前まで戻ったけど、ノックする勇気は無かった。

 外に出ると、頬が一瞬で冷たくなった。
 それだけではない。
 心が凍りつきそうだった。
 街を行き交う恋人達。
 みんな一様に幸せそうに笑っている。

 わたしは?
 一人がこんなに寂しいと思った事は無かった。

 涙が頬を伝う。
 誰もわたしの事など見ていない。

 帰りつくまでに流した涙も枯れ、わたしはいつも通りに玄関の扉を開けた。

「ただいま」

 玄関に男の靴。
 母が、誰か男を招き入れた?
 おそるおそるリビングに行くと、テーブルで向かい合う部長と母。

「部長! ど、どうしてうちにいるんですか!!」
「早かったんだな。お母さんが一人で寂しいだろうと思って、ケーキ買って来た。お前も食うか?」

 おいおい。
 部長、もしかして、母の事が気に入ったんですか?
 そりゃ、三十八と三十二。
 わたしと部長の年の差より少ないですよ。 
 うん?
 ってことは、お母さんと部長がくっつくって事も有り得ない事では無い。
 待って。
 って事は、この二人が結婚したら、部長がわたしのお父さん?

「どうした? お前何か良からぬ事を想像いてないか?」

 考えていた事を話すと、二人はお腹をかかえて爆笑した。
 何も、そこまで笑わなくても・・・

「でもあり得なくはないわね。ねぇどうかしら? 六歳年上の女房って」
「はははっ。お母さんの事は好きですよ。美人だし、話していても楽しい。だけどわたしは、智子さんのように、守ってやりたくなるよう女性が好みでして」
「そう言えば、最初にそうおっしゃってましたわね。ホントにこの子は、臆病でいろんな事に自信を持てなくて、面倒な事からは逃げてしまう子なんです。親として、もっと強くなりなさいって言いたいんですけどね」
「智子さんは、今のままがかわいいんです。ずっとこのままでいて欲しい。残念ながら、他の男とつき合う事になってしまいましたが、お母さん、またこうして時々遊びに来てもいいですか?」
「もちろんよ。それで、いつかわたしと結婚したいと思ってくれてもいいんだけど?」
「もしかしたらそうなるかもしれないし、ならないかもしれない」
「まあ、それは冗談として、ホントにいつでも遊びに来て下さい」

 何なの?
 この関係。
 またしても母は、部長とわたしを部屋に押し込めた。

「で、今日はあいつとどこに行ったんだ?」
「昼間ショッピングとランチをして、夜はホテルのレストランで、フランス料理のコースを食べさせてもらいました」
「そっか」
「その後・・・」
「その後?」
「いえ、何でもないです」
「もしかしてあいつ、部屋を予約してたとか?」
 
 部長、やっぱり確実にあなたはエスパーです!

「わたし、結婚する人にしか許したくないんです。だから、部屋に誘われて、急に怖くなってしまって」
「いいと思うよ」
「えっ?」
「いまどきそういうタイプの子ってあまりいないと思う。こないだ俺がお前にキスしようとした時拒んだだろ? 一瞬驚いたけど、お前らしいと思った」
「わたしらしい?」
「ああ。悪くないと思うよ。君にはこのまま自分を大切にして欲しい」
「部長・・・」

 この人はわたしを理解してくれている。
 こんなにいい人を、どうして振ったりしたんだろう。
 部長の気持ちを踏みにじったわたしって悪い女だ。
 それでも、わたしはまだ柴田くんが好き。
< 7 / 9 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop