エスパーなあなたと不器用なわたし
キスして下さい
十二月二十六日、火曜日。
母の予想は見事に的中。
今日は朝から雨だった。
レインパンプスは履いていたものの、跳ね返った雨でストッキングが汚れた。
更衣室でそれを脱ぎ、用意していた新しい物に履き替える。
他の女子も同じように、濡れたストッキングの交換をしていた。
十二月の雨は冷たい。
濡れたままにしておくと風邪を引いてしまいそうだった。
制服に着替え、オフィスに入った。
「おはよう。体大丈夫か?」
柴田くんだった。
「もう平気」
「あのさ、こんな事頼めた義理じゃないんだけど、俺達の事あいつには内緒にしておいてくれないか?」
「もちろん、安藤さんには何も言うつもりはないわ。それにわたし達も、もう関係無いから」
「別れる・・・って事だよな? まあ、俺が悪いんだから仕方無いよな。でも聞いてくれ、お前の事を好きだって言ったのは本当の気持ちだ。これからも、同僚として仲良くしてもらえると嬉しい」
「もちろん。今まで通り宜しくお願いします」
何だか清々しい気持ちだった。
彼に対する恨みはない。
わたしの初めての彼氏になってくれた人。
きっと良い思い出になるはず。
「おはよう」
声のした方を振り向くと、何やら大きな箱を抱えた部長が立っていた。
「おはようございます。部長、昨日はご心配をお掛けしてすみませんでした」
「もういいのか?」
「はい」
「そっか。それより塚本、昨日はお母さんの手伝いをしたそうじゃないか」
「えっ? どうして知ってるんですか?」
「実は、お母さんとLINEしてる」
「はぁ?」
「お母さん、喜んでたぞ」
お母さんったら、ホントに部長の事が好きなんじゃ・・・
「はい、これ」
「何ですか?」
「家に帰ったら開けてみて」
何?
大きな箱のわりには軽い。
だけど、これを抱えて電車には乗れないよ。
という心配はいらなかった。
どうして部長はこんなに優しいの?
今朝もらった大きな箱は、部長の車の後部座席に鎮座している。
そして、わたしは助手席に。
これまでに、部長の横に座った女性はどれだけいるのかな?
わたしは彼女じゃないけど、こうして彼の横に座れる事が嬉しい。
こんな事言う資格はないけれど、部長の事、好きみたい。
「柴田とは、大丈夫か?」
「はい。不思議と、普通に話す事が出来ました」
「あいつと一緒に働くのが辛かったら、異動を考えてもいいんだぞ」
「大丈夫です。わたし、今の仕事が好きなんです」
それに、部長のそばにいたいんですと言いたかったけど、やめた。
「それに、俺のそばにいたいんだろ?」
はぁ・・・
やっぱり・・・か。
笑える。
部長って、笑える。
部長、わたしの声が聞こえているなら、わたし言います。
あなたが好きです。
わたしの事を理解してくれるあなたが好きです。
そう思って部長の方を見たけれど、それには何も反応してくれなかった。
家に着いた。
当然のようにわたしにくっついて家に上がる部長。
「お母さん、お邪魔します」
「あら、一樹さん」
一樹さん?
わたしが思うスピードをはるかに超えて、この二人は親しくなっている。
「夕食、一緒にどうかしら?」
「はい。頂きます」
夕食を待つ間、またしてもわたしの部屋に入って来た部長。
何だかこれが普通になっちゃった。
それでも、部長から汚いって言われて以来、ちょっとは片付けるようになった。
「あれっ? 何か綺麗になってない?」
「はい。少しだけ掃除しました」
「そっか。あっ!」
「えっ? どうかしたんですか?」
「ここに飾ってたクマのぬいぐるみは?」
「あ~あれ、クローゼットに片付けました」
「どうしてだよ。せっかく彼女を買って来たのに」
「えっ?」
「それ、開けてみ」
部長からもらった大きな箱。
開けると、中から白いクマのぬいぐるみが出て来た。
「かわいい」
「だろ? 茶色のクマとペアで飾ったらもっとかわいいんじゃないかと思って買ってきたんだ」
「ちょっと待ってて」
わたしは、クローゼットの扉を開けると、口を閉めた段ボールを開封した。
そして、小学校の時から飾っていた茶色のクマを取り出して、部長からもらった白いクマの横に並べる。
「ほ~ら、ばっちりだ」
「本当。大きさも見た感じもぴったり」
「俺って、記憶力いいんだよな。この子だったら、丁度釣り合うって思ったんだ」
「ぷふっ。この子だって」
「何だよ。いいだろ別に」
部長、お茶目です。
ここにいるクマさんと一緒に、むぎゅーっとしたいです。
「部長、車で送ってくれるんだったら、オフィスにプレゼントの箱を持って来る事無かったんじゃないですか?」
「あ、それもそうだな。何考えてたんだろ、俺」
「しかも、家で開けるように言うんですもん」
「だよな。俺、どうかしてた」
何だか、いつも冷静な部長じゃないみたい。
どうかしたのかな?
「・・・」
急に黙り込む部長。
わたしにはあなたの声が聞こえません。
沈黙の時間が増えるほど、わたしの心は不安になる。
「なあ、もう一度俺との交際、考えてくれないか?」
「えっ?」
「俺、やっぱりお前の事を諦められない」
「部長、あなたを振ったわたしに、どうこう言う資格はありません」
「そんな事ないさ。俺、一度や二度振られても諦める男じゃないから。こう見えて俺って結構しつこいんだ」
「部長・・・」
「智、好きだ。俺とつき合ってくれ」
智って言われた。
今までお母さんとさなちゃん、そして少しの間だけ彼氏だった柴田くんだけに言われた呼び方。
部長が、わたしを智って呼んでくれた。
「部長・・・」
涙があふれる。
恋するって、辛い涙、嬉しい涙、いろんな涙がこぼれるんだね。
「おいおい、智は泣き虫だな~」
部長が抱きしめてくれる。
こないだと同じように、あったかい。
わたしも部長の背中に手を回す。
そして、その手に力を入れた。
部長の口から紡ぎ出される名前。
智。
智・・・。
何て気持ちいいんだろう。
「部長、キスして下さい!」
「えっ?」
上を向き、目を閉じた。
「結婚する人とじゃないとしないんじゃなかったかな・・・まあ、近いうちにするからいっか」
えっ?
今聞こえた部長の言葉に思わず目を開けた。
その時既に、部長の顔は前方三十センチ。
そして、彼の柔らかい唇が、わたしを包み込んだ。
おわり
母の予想は見事に的中。
今日は朝から雨だった。
レインパンプスは履いていたものの、跳ね返った雨でストッキングが汚れた。
更衣室でそれを脱ぎ、用意していた新しい物に履き替える。
他の女子も同じように、濡れたストッキングの交換をしていた。
十二月の雨は冷たい。
濡れたままにしておくと風邪を引いてしまいそうだった。
制服に着替え、オフィスに入った。
「おはよう。体大丈夫か?」
柴田くんだった。
「もう平気」
「あのさ、こんな事頼めた義理じゃないんだけど、俺達の事あいつには内緒にしておいてくれないか?」
「もちろん、安藤さんには何も言うつもりはないわ。それにわたし達も、もう関係無いから」
「別れる・・・って事だよな? まあ、俺が悪いんだから仕方無いよな。でも聞いてくれ、お前の事を好きだって言ったのは本当の気持ちだ。これからも、同僚として仲良くしてもらえると嬉しい」
「もちろん。今まで通り宜しくお願いします」
何だか清々しい気持ちだった。
彼に対する恨みはない。
わたしの初めての彼氏になってくれた人。
きっと良い思い出になるはず。
「おはよう」
声のした方を振り向くと、何やら大きな箱を抱えた部長が立っていた。
「おはようございます。部長、昨日はご心配をお掛けしてすみませんでした」
「もういいのか?」
「はい」
「そっか。それより塚本、昨日はお母さんの手伝いをしたそうじゃないか」
「えっ? どうして知ってるんですか?」
「実は、お母さんとLINEしてる」
「はぁ?」
「お母さん、喜んでたぞ」
お母さんったら、ホントに部長の事が好きなんじゃ・・・
「はい、これ」
「何ですか?」
「家に帰ったら開けてみて」
何?
大きな箱のわりには軽い。
だけど、これを抱えて電車には乗れないよ。
という心配はいらなかった。
どうして部長はこんなに優しいの?
今朝もらった大きな箱は、部長の車の後部座席に鎮座している。
そして、わたしは助手席に。
これまでに、部長の横に座った女性はどれだけいるのかな?
わたしは彼女じゃないけど、こうして彼の横に座れる事が嬉しい。
こんな事言う資格はないけれど、部長の事、好きみたい。
「柴田とは、大丈夫か?」
「はい。不思議と、普通に話す事が出来ました」
「あいつと一緒に働くのが辛かったら、異動を考えてもいいんだぞ」
「大丈夫です。わたし、今の仕事が好きなんです」
それに、部長のそばにいたいんですと言いたかったけど、やめた。
「それに、俺のそばにいたいんだろ?」
はぁ・・・
やっぱり・・・か。
笑える。
部長って、笑える。
部長、わたしの声が聞こえているなら、わたし言います。
あなたが好きです。
わたしの事を理解してくれるあなたが好きです。
そう思って部長の方を見たけれど、それには何も反応してくれなかった。
家に着いた。
当然のようにわたしにくっついて家に上がる部長。
「お母さん、お邪魔します」
「あら、一樹さん」
一樹さん?
わたしが思うスピードをはるかに超えて、この二人は親しくなっている。
「夕食、一緒にどうかしら?」
「はい。頂きます」
夕食を待つ間、またしてもわたしの部屋に入って来た部長。
何だかこれが普通になっちゃった。
それでも、部長から汚いって言われて以来、ちょっとは片付けるようになった。
「あれっ? 何か綺麗になってない?」
「はい。少しだけ掃除しました」
「そっか。あっ!」
「えっ? どうかしたんですか?」
「ここに飾ってたクマのぬいぐるみは?」
「あ~あれ、クローゼットに片付けました」
「どうしてだよ。せっかく彼女を買って来たのに」
「えっ?」
「それ、開けてみ」
部長からもらった大きな箱。
開けると、中から白いクマのぬいぐるみが出て来た。
「かわいい」
「だろ? 茶色のクマとペアで飾ったらもっとかわいいんじゃないかと思って買ってきたんだ」
「ちょっと待ってて」
わたしは、クローゼットの扉を開けると、口を閉めた段ボールを開封した。
そして、小学校の時から飾っていた茶色のクマを取り出して、部長からもらった白いクマの横に並べる。
「ほ~ら、ばっちりだ」
「本当。大きさも見た感じもぴったり」
「俺って、記憶力いいんだよな。この子だったら、丁度釣り合うって思ったんだ」
「ぷふっ。この子だって」
「何だよ。いいだろ別に」
部長、お茶目です。
ここにいるクマさんと一緒に、むぎゅーっとしたいです。
「部長、車で送ってくれるんだったら、オフィスにプレゼントの箱を持って来る事無かったんじゃないですか?」
「あ、それもそうだな。何考えてたんだろ、俺」
「しかも、家で開けるように言うんですもん」
「だよな。俺、どうかしてた」
何だか、いつも冷静な部長じゃないみたい。
どうかしたのかな?
「・・・」
急に黙り込む部長。
わたしにはあなたの声が聞こえません。
沈黙の時間が増えるほど、わたしの心は不安になる。
「なあ、もう一度俺との交際、考えてくれないか?」
「えっ?」
「俺、やっぱりお前の事を諦められない」
「部長、あなたを振ったわたしに、どうこう言う資格はありません」
「そんな事ないさ。俺、一度や二度振られても諦める男じゃないから。こう見えて俺って結構しつこいんだ」
「部長・・・」
「智、好きだ。俺とつき合ってくれ」
智って言われた。
今までお母さんとさなちゃん、そして少しの間だけ彼氏だった柴田くんだけに言われた呼び方。
部長が、わたしを智って呼んでくれた。
「部長・・・」
涙があふれる。
恋するって、辛い涙、嬉しい涙、いろんな涙がこぼれるんだね。
「おいおい、智は泣き虫だな~」
部長が抱きしめてくれる。
こないだと同じように、あったかい。
わたしも部長の背中に手を回す。
そして、その手に力を入れた。
部長の口から紡ぎ出される名前。
智。
智・・・。
何て気持ちいいんだろう。
「部長、キスして下さい!」
「えっ?」
上を向き、目を閉じた。
「結婚する人とじゃないとしないんじゃなかったかな・・・まあ、近いうちにするからいっか」
えっ?
今聞こえた部長の言葉に思わず目を開けた。
その時既に、部長の顔は前方三十センチ。
そして、彼の柔らかい唇が、わたしを包み込んだ。
おわり