航空路
(後編)着陸
 それからどれくらい時間が経っただろうか――。
 冷たい空気で僕は目を覚ました。思わず自分の体を見る。
 生きている。
 機内を見ると、離陸した時と全く同じ平和な空間がそこにあった。
 古今東西ゲームをする女子の姿も、大富豪をしている男子の姿も見える。
 とんでもない夢を見た。縁起でもない。隣にいる秀喜や笹田に話したらきっと笑われるだろう。
「変な話するんじゃねぇよ」と、怒られるかも知れない。
 両隣を見れば、秀喜と笹田は寝ている。
 そして、冷えた空気のせいだろうか。トイレに行きたくなってきた。
 シートベルト着用のランプがついているか見ると消えている。取り敢えず安全だ。隣にいる秀喜を起こさないように、シートベルトをはずすと席を立つ。機体は順調に目的地に向け、飛行しているようだ。揺れもないし床も水平で足元も安定している。
 しばらく体勢を変えてなかったので、歩くのに妙な感覚がある。少しふらついた。
 その時だ。
 僕は座席に宮本と担任の姿がないことに気づいた。宮本とつるんでいる鈴木と田淵の姿もない。夢の中での出来事を思い出して血の気が引く。
 僕は正夢を見たのだろうか――
 怖くて用を足すのも我慢して席に戻った。寝る前のことを思い出す。
 工藤の話を聞きながら寝入ったのは覚えている。そこまでは現実に間違いない。
 それから目を覚ました後、用を足しに行ってトイレの前で鈴木に相談されたのだ。
 これは多分、夢だったのだろう。
 宮本たちを捜しに行って、一階の人たちが消えたのを見たのもきっと夢だ。
 しかし、どこからが夢で現実なのかははっきりしない。今だって夢を見ているのかもしれない。
 横で「なあ」という声がしたのに気づいて見ると、目を覚ました秀喜がいた。僕に声をかけた秀喜は、機内全体を見ると、
「先生と宮本たちの姿が見えないな……」
 僕が気にしていたことをズバリ訊いてきた。
「えっと……全員でトイレに行ったんじゃないかな……」
 馬鹿なことを言ったな……完全にしどろもどろな答えになってしまっている。
 秀喜は突っこんでくると思いきや、
「ふーん……」と言うと座席を後ろに倒した。バタンと勢いよく倒れた座席は、後部座席側を狭くする。その影響で秀喜の後ろにいる工藤がアイマスクをはずすと、眼鏡を掛けながら、迷惑そうにこちらを見てきた。
 工藤も寝ていたのだろう。大きな伸びをすると彼も機内全体を見る。
「宮本たちは?」
 工藤も秀喜と同じことを訊いた。
 僕は知っている。秀喜と工藤は宮本たちが嫌いだ。
 秀喜が宮本たちを嫌いな理由は、つるまなければ威張れないのに、いつも喧嘩腰だから。
 工藤が宮本たちを嫌いな理由は、授業中に馬鹿騒ぎするから。
 その二人が起きざまに宮本たちの心配をした――これは偶然なのだろうか?
「ねえ、先生は?」
 横から声が聞こえたので見ると、笹田が心配したようにこちらを見ていた。
「宮本君たちの姿も見えないみたいだし……」
 笹田の問いに、秀喜と工藤が顔を見合わせる。
「あのさ!」
 そして、二人同時に声を出した。互いが譲りながら「先に言えよ」と言い合っている。
「変な夢を見たんだ」
 僕が間に入って言うと、秀喜と工藤がぴたりと話すのをやめ、笹田も両手で口を塞いだ。
「もしかして、みんなも同じ夢を見たのかと思って……訊いたんだけど……」
「変な夢は見た。お前と同じ夢かは知らないけど、みんなが消えていく夢だ」
 即座に秀喜が返す。僕と同じ夢に間違いない。
 工藤と笹田を見ると二人ともくぐもった声で「僕も見た」「私も」と答えた。
 秀喜は機内の様子を見る。
「これは現実なのか? 夢なのか? それとも俺たちは――」
「それ以上は言わないでくれよ!」
 工藤が秀喜の話を制した。
「言わないでくれよ……お願いだから」
 頭を抱えながら呟く工藤――しかし、話を続けないわけにはいかない。
 秀喜はこう言いたかったのだろう。『それとも俺たちは――死んだのか、生きているのか?』
「宮本たちは?」
 僕が秀喜の言おうとしたことの続きを話そうとすると、級友の声が聞こえた。
 先程の夢の中では、宮本の連れである鈴木が僕に相談するところからはじまっている。
 夢とは違った進行に少しだけ安堵した。
 しばらく黙って見ていると、トイレから鈴木が出てきたのが見えた。これも夢の内容とは違う。取り敢えず、正夢を回避することはできた。
 戻ってきた鈴木が「宮本を一緒に捜してくれないか?」と頼んできたとしても、今度は「すぐに帰ってくるだろうから待ってよう」と言おう。
 全員揃って一階に捜しに行くのだけは、気分的に避けたい。たとえ僕が行こうと言っても、同じ夢を見たであろう秀喜や工藤、笹田も「嫌だ」と即答するはずだ。
 鈴木がこちらに歩いてくる。僕たち全員は緊張した。
 しかし、心配は無用だったようで、鈴木は僕たちのいる席を通り越す。秀喜が深い溜め息を吐いたのが聞こえた。秀喜も同じ心配をしていたのだろう。
 すると――
「立花の姿も見えないみたいだぞ……」
 通り過ぎて行った鈴木が、妙なことを言った。
 彼は確かに僕達の横を通り過ぎて行ったのだ。見ていないわけがない。
「本当だ。秀喜も工藤も笹田までいないぞ。珍しいよな。あいつ等、優等生なのに」
 級友まで信じられないことを言いはじめた。彼だって僕たちの席を確認したのだ。
「おい! 冗談はやめろよ! ただでさえ、こっちは変な夢を見て気分悪いのに!」
 秀喜が声を荒げながら級友の肩を叩く。
 が、秀喜は級友の体をするりと抜けて、そのまま転んでしまった。
「えっ?」
 当惑した。今、秀喜が級友に触れた時、透けたように見えたのは秀喜のほうだったのだ。
「嘘だ……」
 秀喜もそれに気づいたのか、自分の両手を見ながら震えている。僕も秀喜に近づくのを躊躇ってしまった。自分も同じ状況にいると信じたくなかった。
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