契約結婚の終わらせかた
「それじゃあ、おばあちゃん。お店とこの人のことよろしく。今日は残業なしで帰れると思うから」
振り向いて肩越しにおばあちゃんに声をかけると、老眼鏡を直しながら「ああ」とだけ返してくれる。相変わらず無愛想だな、って小さく笑いながら前を向いた――んだけど。
「わぶっ!?」
ドンッ、と何かが顔面にぶつかった。こんな場所に壁なんてあったっけ? と打った鼻を押さえながら涙で滲む視界に入ったのは、白いシャツの生地。
えっ、と思い視線を上げれば、目の前にあのプリン好きな男性が立って通せんぼしてましたよ。
わ……背が高い。私は158センチと女性じゃ標準的な身長だけど、彼は更に30センチ近く高そうだ。それに、気のせいじゃなく彼の片腕はドアを押さえてて、私を通れなくしてる。
恩を仇で返したいわけ?って、なんとなくイラッときて、彼を睨み付けた。
「あの……退いてもらえますか? 私、これからバイトに行かなくちゃならないんですけど」
「……職場はこの店だけでないのか?」
うわぁ、出ましたよセクシーボイス。熱のせいか若干潤んだ瞳で、赤みがかった頬。私でなければ迫られてると誤解するところですよ。
「私がどこで働いているとか、あなたに関係あるんですか?」
「ある」
男性が迷いなくきっぱりと言い切るものだから、さすがに唖然としてしまった。いきなり何を言い出すの、この人は!?
だけどもっと衝撃的だったのは――彼に手首を掴まれ、体を引き寄せられた上に、顔を覗き込まれたこと。
わずかに数センチの距離は、呼吸すらためらう近さだと初めて知った。