契約結婚の終わらせかた
嬉しかった。
伊織さんが、私をちゃんと妻と呼んでくれたことが。
ポタポタ、とシーツの上に涙が落ちる。
(もう……いいかな)
伊織さんも、ちゃんとご飯を食べられるようになった。
太郎と花子を可愛がるようになった。
お風呂の楽しみを覚えた。
夜、ちゃんと眠るようになれた。
お金だってちゃんと帳簿をつけるようになれた。
そして、何より。葵和子さんと歩み寄る姿勢を見せた。
自惚れかもしれないけど。伊織さんにとってもあのマンションは、温かい“家”になれた。
伊織さんには、新しい家族がいる。
きっと、美しくて教養のある妻を迎えて。あたたかな家庭を築ける。子どもが生まれても、きっと大丈夫。今の彼なら愛せる。
けれど、そこに私の居場所はないし。私がいる必要もない。
偽物に過ぎない契約の妻の私は……もう、役割を本物に譲ろう。
しあわせ、だった。
出会いは最低だったけど、伊織さんと過ごしたこの1年――ずっと夢のように幸せだった。
本物の家族みたいで。楽しかった。
だから、ね。
私はもういいんだ。
私は、伊織さんを見据える。
ああ、この瞳が好きだった。
最初は不機嫌な顔しかしなかったけど、いつの間にかいろんな顔を見せてくれるようになって。
いつの間にか、恋をした。
「ありがとう……伊織さん。こんな私でも妻といってくれて。私は……あなたと暮らせてすごく幸せでした」
だから、と私は伊織さんに告げる。
「離婚、してください。伊織さん」