〜その唇は嘘をつく〜
「俺は、何もしていない。証拠もないのに犯人扱いしてお前の方こそタダですむと思うなよ」
汗だくで否定し、悠に詰め寄る30代ぐらいの男。
そんな男を鼻先で笑う悠。
私は、被害者なのだが初めての出来事にただ傍観しているだけだった。
「とりあえず、事務所まで来てもらいましょうか」
駅員さんに連れられ事務所の中。
「俺が痴漢したっていう証拠を出せるものなら出せよ」
「証拠か⁈それならこれでどうだ⁈」
悠がスマホで撮った私のお尻を触る手の平の写真と袖口。
「な、なんだ…そんな写真じゃ証拠にならないだろう」
慌て始める男の額から汗が流れる。
「お前のスーツの袖口を見せてみろよ」
見せようとしない男の腕を『失礼します』と駅員さんが掴み写真と見比べる。
「言い逃れできないですね」
駅員さんの一言で男は膝から崩れ落ちた。
「すみません。ほんの出来心なんです。目の前に綺麗な人がいるなって思っていたら自然とお尻を触っていて…」
「はぁっ、そんな言い訳通用するかよ」
「…悠。怒らないで」
今にも殴りそうな勢いで男の胸ぐらを掴む悠を慌てて止めた。
駅員さんも2人の間に入り、痴漢した男を椅子に座らせ私に振り向いた。
「彼氏さんの気持ちもわかりますが被害者は彼女なので落ち着いてくださいね」
悠を諭す駅員さんに
いや、彼氏じゃないですからと心の底でつぶやけるぐらい、なぜか私は落ち着いていた。
「で、警察呼びましょうか⁇」
「お願いします。もう、2度としないので見逃してください」
慌てて椅子から降り頭を床につけて平謝りする男。
彼も社会人としていろいろ立場とかあるのだろう。もしかして家庭もあるかもしれない。家族が可哀想だ。そう考えると…
「もう、2度としないって約束できますか?」
「おい、柚月。そいつの言葉を信じてどうするんだ。初犯だろうが痴漢するような奴だ。今までにもしてきたに違いない」
「そんなこと言わないで…誰にだってチャンスは必要でしょう」
「チッ、お前は甘い。……好きにしろ」
私達の会話を聞いていた駅員さんは、痴漢した男を起こし、もう一度椅子に座るよう促すと一枚の紙を取り出してきた。
「初犯ということと被害者の方が訴えられないので、今回は身分証明書の提出と
誓約して頂きましょうか」
「えっ…」
固まる男。
本来ならそのまま無罪放免なのかもしれない。