付喪がいた日
5.ありがとう
開いた入口から涼しい風が流れこんでくる。
朝は雲ひとつなかった天気だったのが、気温が上昇するともに積乱雲が発生したのだろう。豪雨が地面を叩きつける音が聞こえてきていた。
その悪天候で傘を壊されたのは、ずぶ濡れになって帰れという宣告を受けたようなものだ。
しかし、俺は騒動の一部始終を見ていないから口出しできない。真相をつかむために、しばらく様子を見ることにした。
「お前さ。俺が気に入らないから濡れ衣を着せるつもりなんだろ。やってないって言ってるだろ。俺がきた時にはお前の傘は折れていたんだよ」
「あなたの笑い声が聞こえたのよ。見たら、あなたが折れた私の傘を持っていた。これ以上の怪しむ理由なんてないわ」
田中の説明に横掘が舌打ちをする。そして、集まってきた者たちを見て叫んだ。
「おい、見せもんじゃねえぞ。関係のない奴らは、あっち行け!」
集まっていた者たちは、騒ぎに巻きこまれるのを嫌ったのだろう。自分の傘を取り、次々と帰途に就いていった。
消しゴムの時もそうだ。横掘は何かと因縁をつけて騒動を起こした後、言い訳をつけて逃げようとする。確かに傘を壊した証拠はないのだろう。しかし、田中の傘を蹴り飛ばしたのは俺が見た事実だ。しかも相手は自分より力の弱い女子一人。横掘は三人だ。
俺が横掘に言おうとした時、雨造が俺の手をつかんでとめた。
「田中の傘。壊したのは横掘じゃない。隣にいる海野って奴だ。あいつがそう言ってる。痛い。苦しい。捨てられたくない。消えたくないって泣いてる」
雨造の話を聞いて俺は動きをとめた。
そうか――雨造は番傘の付喪神。物の声が聞こえるのか。しかもそれが同じ傘の仲間であるのなら尚更だろう。
「海野って奴が、自分の傘が引っ掛かっているのに腹を立てて無理やり引き抜いた。その力で折られたって言ってる。書かれた田中って名前を見て、横掘が笑ったって。濡れて帰るのはいい気味だなって言っていたって」
横掘の性格も含めて考えると、雨造の話は信憑性があるし、嘘ではないのだろう。けれどそれは付喪神の声だ。人には聞こえない。それなので証拠にはならない。俺は歯噛みするしかなかった。
「ご主人さまのお役に立てなかったって……」
雨造はそこまで言って口をつぐむと、大粒の涙を流していた。おそらく、それがあの傘の最期の言葉だったのだろう。
いつもの俺なら田中に「俺の置き傘を貸すよ。俺は濡れて帰ればいいし」と言っていたのかもしれない。けれど、雨造の話を聞いて黙ってはいられなかった。
「海野、お前だろ。壊したのは」
俺が海野にそう言うと、横掘三人グループの肩が同時にはねた。まさか、名前をはっきりと言われるとは思っていなかったのだろう。言われた海野の目がおよいでいる。
「やってない。自分の傘を取ったら、田中の傘が折れていたんだ。はじめから折れていた物の責任なんて俺がとれるかよ」
俺が更に詰め寄ろうとすると、雨造がとめた。何故とめたのかわからずに足をとめる。
すると雨造は大きな舌を出すと、海野の顔を舐めた。続けて隣の横掘の顔も舐める。
「ひいっ!」
見えないものの嫌な感触に驚いたのだろう。海野と横掘は変な声をあげると、自分の顔を押さえながら青ざめた。ここにいるのは俺と田中、横掘たちだけだ。もし、誰かいたのなら、横掘たちの声を聞いて笑ったかもしれない。そう思う妙な声と動きだった。
もし、雨造がとめなかったら、俺は横掘たちに何をしていたのだろうか。奮える拳を見て、俺は怒りを抑えられていない自分に気づいた。きっと、殴り合いの喧嘩に発展していたかもしれない。
雨造は、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、横掘たちを睨みつけながら折られた傘を拾う。
その瞬間、今度は田中も悲鳴をあげた。田中の視線の先を見て横掘たちも声をあげる。
あっ、そうか。俺には雨造が見えるから、傘を持ち上げたってわかるけど、他の奴には雨造が見えないんだった。と、いうことは――
「傘が……浮いてる」
唸るように呟くとともに、川口が先に逃げた。
あいつ。何も雨造にされていないのに、真っ先に仲間を置いていくなんて薄情な奴だな。そう思っていると、横掘と海野も腰を抜かしたような猫背状態で逃げていく。
豪雨というのも関係ない。傘も差さないまま、三人は物凄い勢いで外に飛び出していった。
残った田中はというと俺の背中に隠れながら、雨造が持っている傘を恐る恐る見ている。
「雨造。それ、なおせるかどうか見るから持ってきてくれないか」
俺が言うと、雨造の表情に光が差す。自慢じゃないが、俺は工作には自信がある。完全になおすことはできなくても、どうにかして傘を田中の手元に置いてやりたいと思った。
「雨造って?」
田中が聞いてくるだろうと予想はしていた。雨造に話しかけたのはわざとだ。浮き上がる傘を見て恐怖する田中に、この怪奇現象の説明をするには、雨造の名前を意図的に出して紹介したほうがいいだろうと思ったからだった。雨造も状況を察したのか、俺の次の言葉を期待するように見ている。
「雨造。俺以外の奴に姿が見えるようにはできないか? 無理なら、俺から田中に雨造のことを説明するけど」
「妖力を無駄に使うから、ずっとするのは無理だけど、すこしの間なら……」
妖力とは付喪神の能力を発揮するための力ということだろうか。取り敢えず、雨造の姿が田中に見えるようになるのなら説明も楽でありがたい。
俺が「じゃあ、頼む」と言うと、雨造は首を縦に動かして応えた。
朝は雲ひとつなかった天気だったのが、気温が上昇するともに積乱雲が発生したのだろう。豪雨が地面を叩きつける音が聞こえてきていた。
その悪天候で傘を壊されたのは、ずぶ濡れになって帰れという宣告を受けたようなものだ。
しかし、俺は騒動の一部始終を見ていないから口出しできない。真相をつかむために、しばらく様子を見ることにした。
「お前さ。俺が気に入らないから濡れ衣を着せるつもりなんだろ。やってないって言ってるだろ。俺がきた時にはお前の傘は折れていたんだよ」
「あなたの笑い声が聞こえたのよ。見たら、あなたが折れた私の傘を持っていた。これ以上の怪しむ理由なんてないわ」
田中の説明に横掘が舌打ちをする。そして、集まってきた者たちを見て叫んだ。
「おい、見せもんじゃねえぞ。関係のない奴らは、あっち行け!」
集まっていた者たちは、騒ぎに巻きこまれるのを嫌ったのだろう。自分の傘を取り、次々と帰途に就いていった。
消しゴムの時もそうだ。横掘は何かと因縁をつけて騒動を起こした後、言い訳をつけて逃げようとする。確かに傘を壊した証拠はないのだろう。しかし、田中の傘を蹴り飛ばしたのは俺が見た事実だ。しかも相手は自分より力の弱い女子一人。横掘は三人だ。
俺が横掘に言おうとした時、雨造が俺の手をつかんでとめた。
「田中の傘。壊したのは横掘じゃない。隣にいる海野って奴だ。あいつがそう言ってる。痛い。苦しい。捨てられたくない。消えたくないって泣いてる」
雨造の話を聞いて俺は動きをとめた。
そうか――雨造は番傘の付喪神。物の声が聞こえるのか。しかもそれが同じ傘の仲間であるのなら尚更だろう。
「海野って奴が、自分の傘が引っ掛かっているのに腹を立てて無理やり引き抜いた。その力で折られたって言ってる。書かれた田中って名前を見て、横掘が笑ったって。濡れて帰るのはいい気味だなって言っていたって」
横掘の性格も含めて考えると、雨造の話は信憑性があるし、嘘ではないのだろう。けれどそれは付喪神の声だ。人には聞こえない。それなので証拠にはならない。俺は歯噛みするしかなかった。
「ご主人さまのお役に立てなかったって……」
雨造はそこまで言って口をつぐむと、大粒の涙を流していた。おそらく、それがあの傘の最期の言葉だったのだろう。
いつもの俺なら田中に「俺の置き傘を貸すよ。俺は濡れて帰ればいいし」と言っていたのかもしれない。けれど、雨造の話を聞いて黙ってはいられなかった。
「海野、お前だろ。壊したのは」
俺が海野にそう言うと、横掘三人グループの肩が同時にはねた。まさか、名前をはっきりと言われるとは思っていなかったのだろう。言われた海野の目がおよいでいる。
「やってない。自分の傘を取ったら、田中の傘が折れていたんだ。はじめから折れていた物の責任なんて俺がとれるかよ」
俺が更に詰め寄ろうとすると、雨造がとめた。何故とめたのかわからずに足をとめる。
すると雨造は大きな舌を出すと、海野の顔を舐めた。続けて隣の横掘の顔も舐める。
「ひいっ!」
見えないものの嫌な感触に驚いたのだろう。海野と横掘は変な声をあげると、自分の顔を押さえながら青ざめた。ここにいるのは俺と田中、横掘たちだけだ。もし、誰かいたのなら、横掘たちの声を聞いて笑ったかもしれない。そう思う妙な声と動きだった。
もし、雨造がとめなかったら、俺は横掘たちに何をしていたのだろうか。奮える拳を見て、俺は怒りを抑えられていない自分に気づいた。きっと、殴り合いの喧嘩に発展していたかもしれない。
雨造は、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、横掘たちを睨みつけながら折られた傘を拾う。
その瞬間、今度は田中も悲鳴をあげた。田中の視線の先を見て横掘たちも声をあげる。
あっ、そうか。俺には雨造が見えるから、傘を持ち上げたってわかるけど、他の奴には雨造が見えないんだった。と、いうことは――
「傘が……浮いてる」
唸るように呟くとともに、川口が先に逃げた。
あいつ。何も雨造にされていないのに、真っ先に仲間を置いていくなんて薄情な奴だな。そう思っていると、横掘と海野も腰を抜かしたような猫背状態で逃げていく。
豪雨というのも関係ない。傘も差さないまま、三人は物凄い勢いで外に飛び出していった。
残った田中はというと俺の背中に隠れながら、雨造が持っている傘を恐る恐る見ている。
「雨造。それ、なおせるかどうか見るから持ってきてくれないか」
俺が言うと、雨造の表情に光が差す。自慢じゃないが、俺は工作には自信がある。完全になおすことはできなくても、どうにかして傘を田中の手元に置いてやりたいと思った。
「雨造って?」
田中が聞いてくるだろうと予想はしていた。雨造に話しかけたのはわざとだ。浮き上がる傘を見て恐怖する田中に、この怪奇現象の説明をするには、雨造の名前を意図的に出して紹介したほうがいいだろうと思ったからだった。雨造も状況を察したのか、俺の次の言葉を期待するように見ている。
「雨造。俺以外の奴に姿が見えるようにはできないか? 無理なら、俺から田中に雨造のことを説明するけど」
「妖力を無駄に使うから、ずっとするのは無理だけど、すこしの間なら……」
妖力とは付喪神の能力を発揮するための力ということだろうか。取り敢えず、雨造の姿が田中に見えるようになるのなら説明も楽でありがたい。
俺が「じゃあ、頼む」と言うと、雨造は首を縦に動かして応えた。