御曹司さまの言いなりなんてっ!

 だけど脳裏に次々と浮かぶのは、彼の黒い前髪や、宝石のように綺麗な瞳。

 そして私に見せる少年のような微笑みと、楽しそうな笑い声。

 あの笑顔を思うと胸が潰されそうな、反対に、はち切れそうなほど堪らない気持ちになる。


 別に元カレとの失恋を経験したからって、それがトラウマになってるわけじゃない。

 いつかまた良い出会いがあれば誰かと交際する気は満々だった。

 でもその相手が自分の上司? よりによって、上司? 


 ……実は田舎の友人が昔、上司と不倫関係に陥って、それがむこうの奥さんにバレてしまったことがある。

 キレた奥さんが刃物を持ち出し、シャレにならない刃傷沙汰になってしまった。

 あのとき私の目の前で繰り広げられた、松の廊下の浅野内匠頭と吉良上野介を地でいくシーンは、まさにトラウマ以外の何物でもない。

 たとえ不倫であろうがなかろうが、直属の上司との恋愛なんて、どう転んでもリスクは大きい。


 それにいくら家族から除け者扱いされているとはいえ、彼は紛れもなく一之瀬商事の創始者の孫。

 身分違いという単語は、この平成の世でもドッコイ立派に生きている。

 しかもあの複雑な生い立ちの持ち主だもの。

 仮に思いが通じたところで、絶対に『キャッキャッ、ウフフ』に終始するような、脳天気なだけの日々なんてありえない。
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