ウソ夫婦
女はあすかをひっくり返すと、馬乗りになった。見上げると、青白い光の中、女が本当に楽しそうに笑っているのが見える。
あすかは夢中で女をつき倒そうとしたが、女の力は想像以上だった。あすかの首を抑えると、力一杯締め上げた。
息がつまる。視界が一瞬でオレンジ色に染まった。苦しくて、あすかは腕を振り回した。
「ほら、言いなさい。死んじゃうわよ」
あすかは涙目になりながらも、抵抗を続ける。けれど、女の手が緩まることはない。確実にあすかを死へと追いやろうとしている。
「ここで死んだら、つまんないわよ。でもまあ、いいか。この研究室をもう一度調べなおしたら、何か見つかるかもしれないしね」
血中の酸素が徐々に薄れ、あすかの意識も朦朧としてきた。抵抗していた腕に力が入らなくなり、パタンと床の上に手が落ちる。
このままじゃ、死んじゃう。
死んだらあの人に会えるのに、『頑張ったよ』って、言えなくなるじゃない。
視界の隅に、自分の左手が見えた。
薬指に、指輪の跡。真夏に指輪をはめていたから、そこだけ白く浮いて見える。
ウソの夫婦でも、幸せだった。
意識が遠のく。女の赤い唇だけが見える。
颯太。
黒髪をかきあげて、ふと笑顔を見せる時。
私を見つめる眼差しに、優しさが溢れていたのに。
あれは、颯太?
黒い髪に、不思議な色の瞳。
うん。
あれは颯太で、それでいて違うの。
いつも側にいてくれた、私の大切な人は……。