ウソ夫婦
翠は腕を組む。
「じゃあ、コンビニでもなんでも、行ってよ」
そこで初めて、颯太の後頭部が動いた。新聞をポンとテーブルに投げて、メガネをその上に置く。ゆっくりと首を捻って、翠を見た。
「毎朝、俺がコンビニに飯を買いに行ったら、不仲だって思われるだろう? 困るんじゃないのか?」
眼光鋭く、翠を見つめる。色の違う瞳に見つめられると、だいたいここで翠は白旗を上げてしまう。とにかく萎縮させられて、争う気が失われてしまうからだ。
あの目は、催眠術並みの、威力がある。
「おかしい……どうして私があなたのご飯まで用意しなくちゃいけないの?」
いくらか弱気になった翠は、少々パワーダウンしながらも、反抗を試みた。
「だって、お前は俺の奥さんだから」
ソファに腹ばいになって、腕の上に顔を乗せる。今日は少々粘り気味の翠を、まるで観察するみたいに、じっと見つめる。
「違う」
翠は激しく首を振る。
「そういう設定なんだ。従えよ」
「嫌」
「取り決めをしたんだ」
「でもっ」
翠は悔しくて、唇をかんだ。「いつまで、こんな……」
両親、友人、恋人とも、遠く離れてしまった。誰も翠の居場所を知らない。翠がどこにいるのか知ったら、彼らが危険にさらされるからだ。
颯太は少し身体を上げて、今にも泣き出しそうな翠を見る。
「泣くのか?」
そう言った。
「な、泣きませんよっ!」
翠はその言い方にカチンときて、颯太をこれでもかと睨みつけた。
すると颯太は、ニヤリと笑う。そして「朝食待ってるよ」と言って、再び新聞を手に取った。