ウソ夫婦
「もし、愛子が旦那さんにちょっかいを出してきたら、びしっと断ってください」
「はあ」
「俺の方でも気をつけますが、なにぶん、帰宅が遅い日もあるので」
「そう……ですよね」
翠はなんと答えていいのかわからず、最高に困り果てた。
変な、夫婦だわ。
翠が貸し出し手続きを終えると、宗谷は料理本を布カバンに入れてお辞儀をする。翠も愛想よくお辞儀をしたが、正直なところ困惑し通しだ。
宗谷の背中がガラス扉の向こうへと消えていくと、翠はほっと息をついた。
「今のお隣さん、すごくない?」
振り向くと、のぞみが目をキラキラさせている。
「そう……ちょっと変わってる」
翠はそう言って、首をすくめた。
「颯太さん、隣の奥さんに狙われてるんだ」
「……みたい」
「はあー」
のぞみは呆れたような顔を作る。
「あの旦那さんは、それでオッケーなわけ? ずいぶん弱腰じゃない? 奥さんの尻に敷かれてるの?」
まるでマシンガンのように、次々と疑問が出てくる。
「気をつけてね、山崎さん。喰われちゃうかもよ」
「まさか」
翠は笑いながら、席についた。
「いやいや、男は下半身で生きてるんだから。迫られたら、断らないよ」
そんな苦い思い出でもあるのか、のぞみは憮然とした表情で腕を組む。
「大丈夫じゃない?」
翠はのぞみをなだめつつ、そう言った。
大丈夫。っていうか、だいたい、あいつが食われちゃったとしても、関係ない。私たちはウソの夫婦なんだから。
関係ないもん。