ウソ夫婦
三
二日後の木曜日の夜。大翔は、翠が休みの日に予定を合わせてくれた。
「このピアスが、マイクになってる」
ジェニファーが翠の耳に、ガーネットのピアスをつけた。
「そちらの会話は全部聞こえる。危ないと思ったら『寒い』と言って。それが合言葉よ。私が迎えに行くから」
スパイ映画さながらの装備。翠は今更ながら心配しはじめた。
こんなこと、私にできるんだろうか。
狭い軽自動車の中。アパートから二つ先の地下鉄の駅前だ。これから電車に一人で乗って行く。
「綺麗よ、ミドリ」
肩を出したロングワンピースに、クラッチバッグ。精一杯のおしゃれをさせられた。
「大丈夫。危ないことなんてないわ」
ジェニファーが緊張する翠を安心させるよう、優しく微笑んだ。
颯太だったら『こんな目立つ格好をするんじゃない』っていうだろう。『後ろからついていく』ともいうかもしれない。
颯太だったら……。
翠はバッグをぎゅっとつかんだ。
「本当に綺麗。これならどんな男だって、振り向くわ。『結婚してる』っていう設定は、男除けにもなってるのね」
「ジェニファー、そんなことないって」
翠は褒められて、少し照れた。ジェニファーは緊張をほぐそうとしてくれている。
「翠の『夫役』を選ぼうっていう時も、局内の男性がこぞって手を挙げたのよ」
「……まさか」
翠は颯太が手を挙げているところを想像して、少しおかしくなった。
「日系は何人かいて、日本国籍を持ってる男性もいたのよ。日本語がネイティブだって人もね。だから接戦でね」
「……え?」
「そうそう。でもソウタは譲らなかったわ。日本語もそれほどうまくなかったのに、ほとんどネイティブにまで仕上げてきた。『絶対に俺がやる』ってね。うちのリーダーも、最終的には頷いた」
颯太は以前『俺しか日本語をしゃべれるやつがいなかった』って言ってなかった? 『局内に日本人はいない』とも。
なぜ、そんな嘘を?
「さあ、いってらっしゃい。私が後ろについてる。絶対に大丈夫よ」
ジェニファーが翠の背中を押す。
心の中に引っかかるものを抱えながら、翠は夜の街へと歩き出した。