朔旦冬至 さくたんとうじ ~恋愛日和~
朔~新月~
「・・・俺が
・・・・
・・・・育てます。」
そのとき,朔は,
この時点で人生最大の
決断の言葉を口にした。
「さくちゃん。
あさだよ。おきなきゃ!」
由宇(ゆう)は朔の上に
乗っかって,朔を起こす。
朔は朝が弱い。
「わ,由宇,ごめん。
また,寝坊した・・・。」
「いいよ。さくちゃん。
パンかっていけば
いいから。」
「ああ・・・。」
由宇 5歳。
朔 25歳。
毎日,ほぼ
この繰り返しだが
その度に朔は思う。
ホントに由宇・・
5歳か・・・?
朔はあわてて
スーツを着ているが,
由宇は既に
園バッグを肩に
掛けて待っていた。
朔は慌てて
ネクタイを締め,
とりあえず
髪をささっと整える。
起きて来ない朔に,
由宇は冷蔵庫から
昨日の残り物を出して
朝ごはんとして
並べていた。
朔はそれを
口に入れて
慌ててまた
冷蔵庫に片付ける。
「由宇は食べたか?」
「うん。
ちゃんと食べた。」
えらい・・・。
なんてできた
5歳児なんだろう。
朔はそう思いながら
対照的な自分の姿に
また今日も少しへこむ。
「はやくしないと
おくれちゃうよ。」
「ああ!」
朔は荷物を抱えて
慌てて家を飛び出した。
朔と由宇が住むマンションの
1階はコンビニが入っていた。
朔がこの場所に住もうと
思った決め手の一つがそれ。
コンビニに入ると,
朔は店員のおばさんに
挨拶した。
「おはようございます。」
「あれ朔ちゃん,今日も
寝坊かい?」
店員のおばさんは,
親しげに,そして
少しだけ呆れた声で
そう言った。
「あ・・はい。」
この店員のおばさんは,
店員兼大家。
通称,田丸のおばちゃん。
朔はあわてて
由宇の昼ご飯用の
パンを購入した。
「おはようございます。」
「はい,由宇ちゃん,
おはようございます。」
由宇は,いかにも
「優等生」らしい挨拶をした。
田丸のおばちゃんは
「由宇ちゃんに会うと
いつも癒されるわ」と
よく言っている。
そんなおばちゃんを
横目に見ながら
無事,パンをゲットし,
由宇を保育園に送る。
「今日もよろしく
お願いします。」
朔はそういうと
キラリと
自称イケメンスマイルを
決めて見せた。
ベテランの保育士さんは
朔の顔を見てかどうか
わからないけど,
さわやかな笑顔を返す。
「はい。お預かりします。」
そして朔は・・・
そこから徒歩3分の
勤務先へ足を進める。
朝,由宇を保育園に送って
勤務先へ向かう。
夕方5時半に保育園に
由宇を迎えに行って
いっしょに夕ご飯の買い物を
して,家に帰る。
それが朔の・・
ここ3年の
毎日のルーティン。
やっと少しずつ
慣れて来た。
・・・いや,まだ
慣れてないか・・?
そう心の中で突っ込みながら
朔は今日も勤務先である
高校の敷地へと
足を進めていた。
高比良 朔は
百戸高校に勤めている。
教師になって
3年目の体育教師。
25歳独身。
そして,同居しているのが
朔の甥である
高比良 由宇 5歳。
訳あって
朔と由宇は
二人っきりで
同居している。
4年前の雨の日。
由宇の両親と由宇は
タクシーに乗っていた。
由宇の母親が
産気づいたので
病院へ向かうためだった。
そして・・・その道中。
急に右折してきた
トラックにぶつかった。
大きな音を立てて
トラックは横転。
乗っていたタクシーの
運転手は即死。
後ろの席まで
ぺしゃんこにつぶれた。
父親は由宇を守るように
抱きしめたまま亡くなった。
それが・・朔の兄である
航だった。
結局助かったのは,
まだ1歳になったばかりの
由宇だけだった。
由宇は1歳にして
家族を失った。
由宇は,祖母である
朔の母親が引き取って
育てることになった。
由宇の祖父母にあたる
母親の両親は既に亡くなっていた。
由宇の家族は
祖母である朔の母親と
叔父の朔だけ。
そして,朔も・・・
兄夫婦を失って
由宇と母親だけが
家族と呼べる存在になった。
元々,朔の母親は,
初孫の由宇をとても
可愛がっていた。
朔の兄嫁のことも
とても大切にしていた。
そして生まれてくる
次の孫も楽しみに
していた・・・。
最初は,由宇を
預かることになり
気を張っていた朔の母だったが,
嫁や息子,孫を
失った悲しみが大きく,
夏になるころには,
体調をくずしてしまった。
「おふくろ,大丈夫かよ?」
「ああ・・うん・・・
ごめんねえ・・・朔・・。」
由宇を預かってたった2か月で
朔の母親は入院生活になった。
それから・・・今日までずっと
由宇と朔の二人暮らしは
続いている。
結局,朔の母は
乳がんが見つかって
・・・由宇が来てから
一年とたたずに
帰らぬ人となった。
朔は21歳にして,
天涯孤独となった。
親戚と呼べる存在は
2歳の由宇だけ・・・。
そして由宇にとっても。
そんな二人に対しても
世間は・・・容赦なく
現実を突きつける。
「学生のあなたには
無理でしょう。
由宇くんは,
施設へ預けましょう。」
「え・・・ちょっと
待ってください・・・。」
母親の葬儀が終わってすぐに
朔は,由宇のことをどうするか
決断を迫られていた。
普通に考えて,21歳の朔に
養育能力なんてあるわけない。
心情を抜きにして,
社会の常識で考えれば
・・・それが・・・真っ当だ。
朔自身も,他に親戚でもいれば
そこに預けたかもしれないし,
逆に朔自身が
「天涯孤独」だと感じなければ
由宇のことは手放して
しまっていたかも・・・
とそのとき思った。
だけど,お互い
一人きりになってしまった今・・・
例え2歳の由宇であっても・・・
「家族」と呼べる存在が
そばにいて欲しいと
朔は強く願っていた。
「・・・俺が
・・・・
・・・・育てます。」
そう言い放って朔は
由宇を抱きかかえて
その場を去った。
幸い,金銭面では
兄夫婦や母が残して
くれたものがあったから
困窮しなかったが,
そこからどうやって
由宇を育てていけばいいか
さっぱりわからないまま・・・
そんな見切り発車では
あったけれど・・
それでも・・・
由宇と離れるなんて
考えられなかった。
そのころ朔は,
学生用のアパートに
住んでいた。
さすがに「子連れ」と
いうわけにはいくまいと考え,
朔は,不動産屋さんに頼んで,
新しい家を探していた。
そのときに紹介してもらったのが
現在の大家さんである
田丸のおばさんである。
田丸のおばさんは,
育児のことなんて
もちろん全く知らない朔に
いろいろなことを
教えてくれた。
そうやってみんなの
助けを借りながら,
なんとかギリギリのところで
踏ん張りながら・・・
由宇を・・・育て・・・
朔自身も就職した。
「先生!おはよう!」
由宇を送った後
勤務先に到着する。
保育園の送りの時間を
入れると,
ほぼ勤務開始時間
ギリギリだ。
体育教師は,
朔の長年の夢だった。
由宇のことが
ある前から
目指してはいたが・・・
いざこういう状況になると
やっぱり子育てに関しては,
公務員という立場は
とてもありがたいと
朔は感じていた。
由宇が本当は朔の
甥っ子であることは,
ほんの数名しか知らない。
みんなは,朔のことを
シングルファザーだと
思っている。
・・・この年齢で
シングルファザーって
よっぽど何かあったって
思うのか・・・
なぜかわからないけれど
同僚も子どもたちも
そのことを深く
聞いて来ない・・・。
・・・不思議なものだと
朔はいつも思っていた。
「おはようございます。」
美術の市岡先生。
20代半ばで
朔と同年代と思われる彼女は
ロングヘアーを
なびかせながら
いつも朝,朔のところに
寄って来る・・
身長の高い
朔は訝しげな顔で
彼女を見下げる。
「子持ち」の自分に対して
何が目的なんだか・・・。
朔は,そのしゃべり方や
行動に
ちょっとイラッとしながらも
いつものことだと流した。
悪い人じゃないんだろうけど
・・・こういうのって
肉食女子っていうんだろうな。
朔は頭の中で
彼女のことを
「苦手なタイプ」
のフォルダに
分類していた。
「朔ちゃん,
ちょっとちょっと。」
保健室の中村先生が
ドアから半分だけ
顔を出し,
朔を手招きして
保健室へいざなう。
中村先生は,
残りあと3年の
大ベテランの養護教諭。
田丸のおばさんと
同様,朔の育児の相談相手。
そして・・・
何を隠そう
朔が小学生の時に
お世話になった先生なのだ。
新採でここの学校へ
来た時には
お互いに驚きつつ,
再会を喜んだ。
・・・・
・・・・育てます。」
そのとき,朔は,
この時点で人生最大の
決断の言葉を口にした。
「さくちゃん。
あさだよ。おきなきゃ!」
由宇(ゆう)は朔の上に
乗っかって,朔を起こす。
朔は朝が弱い。
「わ,由宇,ごめん。
また,寝坊した・・・。」
「いいよ。さくちゃん。
パンかっていけば
いいから。」
「ああ・・・。」
由宇 5歳。
朔 25歳。
毎日,ほぼ
この繰り返しだが
その度に朔は思う。
ホントに由宇・・
5歳か・・・?
朔はあわてて
スーツを着ているが,
由宇は既に
園バッグを肩に
掛けて待っていた。
朔は慌てて
ネクタイを締め,
とりあえず
髪をささっと整える。
起きて来ない朔に,
由宇は冷蔵庫から
昨日の残り物を出して
朝ごはんとして
並べていた。
朔はそれを
口に入れて
慌ててまた
冷蔵庫に片付ける。
「由宇は食べたか?」
「うん。
ちゃんと食べた。」
えらい・・・。
なんてできた
5歳児なんだろう。
朔はそう思いながら
対照的な自分の姿に
また今日も少しへこむ。
「はやくしないと
おくれちゃうよ。」
「ああ!」
朔は荷物を抱えて
慌てて家を飛び出した。
朔と由宇が住むマンションの
1階はコンビニが入っていた。
朔がこの場所に住もうと
思った決め手の一つがそれ。
コンビニに入ると,
朔は店員のおばさんに
挨拶した。
「おはようございます。」
「あれ朔ちゃん,今日も
寝坊かい?」
店員のおばさんは,
親しげに,そして
少しだけ呆れた声で
そう言った。
「あ・・はい。」
この店員のおばさんは,
店員兼大家。
通称,田丸のおばちゃん。
朔はあわてて
由宇の昼ご飯用の
パンを購入した。
「おはようございます。」
「はい,由宇ちゃん,
おはようございます。」
由宇は,いかにも
「優等生」らしい挨拶をした。
田丸のおばちゃんは
「由宇ちゃんに会うと
いつも癒されるわ」と
よく言っている。
そんなおばちゃんを
横目に見ながら
無事,パンをゲットし,
由宇を保育園に送る。
「今日もよろしく
お願いします。」
朔はそういうと
キラリと
自称イケメンスマイルを
決めて見せた。
ベテランの保育士さんは
朔の顔を見てかどうか
わからないけど,
さわやかな笑顔を返す。
「はい。お預かりします。」
そして朔は・・・
そこから徒歩3分の
勤務先へ足を進める。
朝,由宇を保育園に送って
勤務先へ向かう。
夕方5時半に保育園に
由宇を迎えに行って
いっしょに夕ご飯の買い物を
して,家に帰る。
それが朔の・・
ここ3年の
毎日のルーティン。
やっと少しずつ
慣れて来た。
・・・いや,まだ
慣れてないか・・?
そう心の中で突っ込みながら
朔は今日も勤務先である
高校の敷地へと
足を進めていた。
高比良 朔は
百戸高校に勤めている。
教師になって
3年目の体育教師。
25歳独身。
そして,同居しているのが
朔の甥である
高比良 由宇 5歳。
訳あって
朔と由宇は
二人っきりで
同居している。
4年前の雨の日。
由宇の両親と由宇は
タクシーに乗っていた。
由宇の母親が
産気づいたので
病院へ向かうためだった。
そして・・・その道中。
急に右折してきた
トラックにぶつかった。
大きな音を立てて
トラックは横転。
乗っていたタクシーの
運転手は即死。
後ろの席まで
ぺしゃんこにつぶれた。
父親は由宇を守るように
抱きしめたまま亡くなった。
それが・・朔の兄である
航だった。
結局助かったのは,
まだ1歳になったばかりの
由宇だけだった。
由宇は1歳にして
家族を失った。
由宇は,祖母である
朔の母親が引き取って
育てることになった。
由宇の祖父母にあたる
母親の両親は既に亡くなっていた。
由宇の家族は
祖母である朔の母親と
叔父の朔だけ。
そして,朔も・・・
兄夫婦を失って
由宇と母親だけが
家族と呼べる存在になった。
元々,朔の母親は,
初孫の由宇をとても
可愛がっていた。
朔の兄嫁のことも
とても大切にしていた。
そして生まれてくる
次の孫も楽しみに
していた・・・。
最初は,由宇を
預かることになり
気を張っていた朔の母だったが,
嫁や息子,孫を
失った悲しみが大きく,
夏になるころには,
体調をくずしてしまった。
「おふくろ,大丈夫かよ?」
「ああ・・うん・・・
ごめんねえ・・・朔・・。」
由宇を預かってたった2か月で
朔の母親は入院生活になった。
それから・・・今日までずっと
由宇と朔の二人暮らしは
続いている。
結局,朔の母は
乳がんが見つかって
・・・由宇が来てから
一年とたたずに
帰らぬ人となった。
朔は21歳にして,
天涯孤独となった。
親戚と呼べる存在は
2歳の由宇だけ・・・。
そして由宇にとっても。
そんな二人に対しても
世間は・・・容赦なく
現実を突きつける。
「学生のあなたには
無理でしょう。
由宇くんは,
施設へ預けましょう。」
「え・・・ちょっと
待ってください・・・。」
母親の葬儀が終わってすぐに
朔は,由宇のことをどうするか
決断を迫られていた。
普通に考えて,21歳の朔に
養育能力なんてあるわけない。
心情を抜きにして,
社会の常識で考えれば
・・・それが・・・真っ当だ。
朔自身も,他に親戚でもいれば
そこに預けたかもしれないし,
逆に朔自身が
「天涯孤独」だと感じなければ
由宇のことは手放して
しまっていたかも・・・
とそのとき思った。
だけど,お互い
一人きりになってしまった今・・・
例え2歳の由宇であっても・・・
「家族」と呼べる存在が
そばにいて欲しいと
朔は強く願っていた。
「・・・俺が
・・・・
・・・・育てます。」
そう言い放って朔は
由宇を抱きかかえて
その場を去った。
幸い,金銭面では
兄夫婦や母が残して
くれたものがあったから
困窮しなかったが,
そこからどうやって
由宇を育てていけばいいか
さっぱりわからないまま・・・
そんな見切り発車では
あったけれど・・
それでも・・・
由宇と離れるなんて
考えられなかった。
そのころ朔は,
学生用のアパートに
住んでいた。
さすがに「子連れ」と
いうわけにはいくまいと考え,
朔は,不動産屋さんに頼んで,
新しい家を探していた。
そのときに紹介してもらったのが
現在の大家さんである
田丸のおばさんである。
田丸のおばさんは,
育児のことなんて
もちろん全く知らない朔に
いろいろなことを
教えてくれた。
そうやってみんなの
助けを借りながら,
なんとかギリギリのところで
踏ん張りながら・・・
由宇を・・・育て・・・
朔自身も就職した。
「先生!おはよう!」
由宇を送った後
勤務先に到着する。
保育園の送りの時間を
入れると,
ほぼ勤務開始時間
ギリギリだ。
体育教師は,
朔の長年の夢だった。
由宇のことが
ある前から
目指してはいたが・・・
いざこういう状況になると
やっぱり子育てに関しては,
公務員という立場は
とてもありがたいと
朔は感じていた。
由宇が本当は朔の
甥っ子であることは,
ほんの数名しか知らない。
みんなは,朔のことを
シングルファザーだと
思っている。
・・・この年齢で
シングルファザーって
よっぽど何かあったって
思うのか・・・
なぜかわからないけれど
同僚も子どもたちも
そのことを深く
聞いて来ない・・・。
・・・不思議なものだと
朔はいつも思っていた。
「おはようございます。」
美術の市岡先生。
20代半ばで
朔と同年代と思われる彼女は
ロングヘアーを
なびかせながら
いつも朝,朔のところに
寄って来る・・
身長の高い
朔は訝しげな顔で
彼女を見下げる。
「子持ち」の自分に対して
何が目的なんだか・・・。
朔は,そのしゃべり方や
行動に
ちょっとイラッとしながらも
いつものことだと流した。
悪い人じゃないんだろうけど
・・・こういうのって
肉食女子っていうんだろうな。
朔は頭の中で
彼女のことを
「苦手なタイプ」
のフォルダに
分類していた。
「朔ちゃん,
ちょっとちょっと。」
保健室の中村先生が
ドアから半分だけ
顔を出し,
朔を手招きして
保健室へいざなう。
中村先生は,
残りあと3年の
大ベテランの養護教諭。
田丸のおばさんと
同様,朔の育児の相談相手。
そして・・・
何を隠そう
朔が小学生の時に
お世話になった先生なのだ。
新採でここの学校へ
来た時には
お互いに驚きつつ,
再会を喜んだ。