妖しく溺れ、愛を乞え
 山積みの伝票を処理してひと段落ついた時、喉がカラカラで、お茶を飲みたいと思った。椅子をくるりと回転させて、部長に声をかける。

「部長、お茶いかがですか?」

「あ、いいねー。春岡くん気が利くなぁ」

「コーヒーとお茶、ホットとアイスお選びください」

「じゃあ熱いコーヒーが良いな。冷たいものばっかりでお腹の調子が悪くてさぁ」

「承知しました」

 部長、胃腸が弱いのに出先で苦手なものばかり出されて。大変だなぁ。

 給湯スペースへ行き、自分のものと部長のマグを取り出す。
 自分はアールグレイのティーバック。部長には会社でお中元にいただいたドリップコーヒー。あたりにコーヒーの良い香りが充満する。

 深雪、自分の湯飲みやマグカップを会社に置いていないんじゃないだろうか。来客用の使っているもの。今度買ってあげよう。

 マグをふたつ持ち、部長のところへ行く。

「熱いんで気を付けてくださいね」

「お、ありがとう」


 デスクへ戻る途中、ボードに目をやる。今日はみんな夕方まで出かけるんだなぁ。静かな1日だ。もうすぐお昼だし。

「あれ?」

 深雪のネームが無い。外れて落ちたのかしら。足元や、近くのコピー機と、隣にあるゴミ箱を探した。蹴飛ばされて下にでも入ったのかなぁ。屈んでコピー機の下を見ようとした。

「なにやってんの。春岡くん」

「あ、専務のネームが無いから落ちたのかと」

 無くしたのかも。まぁまた作れば良いか。

「どうして?」

「帰るまでは一応、スペースを」

 予定、帰社などと書かれた部分を指差した。

「専務なら本店に居るだろう?」

 部長がコーヒーをひとくち飲んだ。 

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