妖しく溺れ、愛を乞え
後ろで、ドアが閉まる音がする。また一歩、足を踏み出した。
「ひ……! あ……」
部屋に入って、数歩進んだ時だった。あたしは声を失う。驚きと恐怖で、動けない。足がすくんでしまった。
背中に手が添えられる。誰? 誰じゃないよ、一緒に居るのは専務でしょう。
「分かるか」
低い声が、あたしに問いかける。尾島専務の声が、頭の上に降って来る。
見えているのは、分かる。でも、なにが起こっているのかは分からない。
いま、あたしはホテルの部屋に入ったはずだ。ホテルだよ。でも、いま見えているものは違う。なに、ここ。
ホテルに入ったはずなのに、違うものが見えている。どうして、こうなった。
「こ……これは」
高い天井、木の床が張られた通路と、畳。自分の足を乗せた板は、ギシギシと音を立てる。通路の左側が大きく開いており、縁側がある。襖が開けられているのだ。そこから見えるのは、真っ白な雪景色だった。
ここは、どこかの建物。どこかって、ここでは無くて、どこか別な場所。ちょっと待って混乱している。市内にあるホテルの部屋ではない。尾島専務が宿泊しているホテルではない。あたしが呼ばれて入ったホテルの部屋じゃないのよ!
ホテルの中に雪景色なんかあるわけがない。大体、季節が違う。
ああ、夢なら終わって欲しい。いますぐに。
たっぷり積もった雪と、そして、そこから顔を出す木々。葉は付いていなくて、白い雪から茶色や黒い枝が突き出している。とても奥まで続いていそうな深い深い、雪の森。
風が吹いて、ザザザと雪を巻き上げて音を立てた。……か、風?
「こ、ここここ、怖いいいいい!!!!」
「ちょ、ちょっと」
「いやあ出して出して! 怖いなにここ死んじゃううーー!」