妖しく溺れ、愛を乞え
 深雪が先にマンションを出て、あたしがあとから出る。

 あたしが会社に出勤する頃には、深雪は出かける。部屋では一緒に居るのに、会社ではすれ違い。なんだか変なの。

 なんとなく気が重くて、仕事が捗らなかった。ずっと深雪のことを考えてしまう。午後、出先から帰って来て姿を見た時には、ホッとしている自分が居た。

 月末の書類を作ったら、支店長のところへ持って行かなくちゃ。そのあと、専務。

「春岡さん、これも追加で支店長へ提出してくれない?」

 初乃さんがダブルクリップで留めた書類を持って来た。

「はい。月末の収入金一覧もう出来るんで、一緒に持って行きますね」

 あとプリントアウトするだけだ。

 コピー機まで取りに行き、自分の印を押す。

 その時、来客があった。そういえば、ホワイトボードにアポ時間が書いてあったんだった。

「お世話になっております」

「すみません、支店長に15:00のアポで」

「はい、少々お待ちください」

 支店長室の内線を鳴らす。電話していないと良いんだけれど。

「はい」

 出たのは、深雪だった。

「あ、あの、アポがありまして、お客様が……支店長に、です」

 ちょっとびっくりしてしどろもどろになってしまった。それとは反対に、冷静な声が帰ってくる。

「支店長は電話中だ。伝えるからお通しして」

「承知しました」

 来客人数はひとり。協力会社の社長さんだ。うちの支店長と仲が良い。

「ごちらへどうぞ」

「居たの? 支店長」

「はい。ただいま電話中でしたが」

 支店長室にご案内すると、支店長は電話を終えていて「どうもどうも」などと出迎えた。深雪も同席するみたいだ。「なかなかご挨拶に行けずに」などと話している。1度、深雪と視線を合わせた。ふっと笑顔を投げられる。

 3人が応接セットに着席する気配を感じながら、ドアを閉め、給湯スペースへと急いだ。


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