短編集 ~一息~
『欲望』

 結婚生活七年目。
 男は食事の準備をする妻の背中を見ながら、新婚当時のことを考えていた。
 ――あの頃の妻は、今とは違ってスタイルも良く、面倒見も良いお嬢さんだった。それが今はどうだろう。面倒見がいいのは変わらないが、体型ときたら。
 新婚当時と比べて体重は五割増といったところだろうか。
 目を閉じればよみがえる。あの面影は既になく、羞恥心すら崩壊してしまったのではないかと思う言動も目立つ。
 ふと、妻の首元に目をやった男は妙な物を発見した。出来物だろうか。何やら白い物が見える。
 昨日も妻の背中を見ていたが、そんな物があるとは気づかなかった。
 男は妻に近付いて首元を見た。それは、皮膚に食いこんだ栓のように見えた。
「おい、首元にゴミがついてるぞ」
 妻に「あら、取って」という間も与えることなく、言って男は栓を取り去った。
 すると、妻の体は空気が抜けた風船のように、徐々に萎んでいく。
 数刻後、呆然とする男の目の前には、新婚当時の面持ちと体型を保った妻の姿があった。
「うわああああっ!」
 あまりのことに男は大声を出す。途端に背中に激痛が走った。
 どうやら、ソファーの上で熟睡していたらしい。声をあげた拍子に落ちたようだ。
 そして、目の前にいるのは、いつもと変わらない体重五割増の妻の姿。
「なんだよ、夢か……」
 男は妻に聞こえない小声でぼやいて目を閉じる。
 ――もう一度、同じ夢を見られるといいのになぁ。いや、今度は顔も女優に! それと、長い時間だ。夢じゃなく現実であればいいのだが。
 そう、人間は欲深い生き物だ。欲求が満たされれば、更に上を望む。その欲望に終わりはない。
 瞬間、男は腹の圧迫で目を覚ました。顔を上げると鬼の形相をした妻がいた。
「いくら休みだからって、ゴロゴロしてんじゃないわよ。暇なら風呂掃除くらいして!」
 現実と夢の格差は激しい。いっそのこと時間を巻き戻せたら。
 聞かないふりをして、もう一度寝ようとすると、妻のプレス攻撃が再び炸裂していた。
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