短編集 ~一息~
『勘違い3』
ため息を含めて吐き出した呼気が白い。無意識に出た、生あくびも言葉になった。
「天気がいいですねえ」
会社員の男は屋上で休憩をしながら、隣でタバコを吸っている上司に語りかけた。
排気ガスで霞んだ景色とそびえ立つ摩天楼のお陰で狭い空ではあるが、雲ひとつない快晴が広がっている。
ところが上司は目を丸くしながら、男を見た。
「そうか? そうとは言い切れないだろう。雲行きが怪しいって聞いたぞ」
男は首を傾げた。朝に見た天気予報では降水確率はゼロといっていたはずだが……地域を間違えたのだろうか。毎日のことなので違う日の天気を記憶してきたのかもしれない。
「今はそのようには感じないですけど……」
再度、空を見つめた男に、上司は「いやいや」と手内輪をしながら言った。
「下り坂だって聞いたよ。しばらくは良くないらしい」
男は上司の話を聞きながら、地域を間違えたのだろうと考えた。
それにしても傘を持ってこなかったと後悔したりする。降水確率量はどれくらいなのだろうか。男は上司に目を向けた。
「確率はどれくらいなんですか? 天気が駄目なら、困るんですよね」
「確率? さあ……百パーセントに近いんじゃないか。でも、お前がそういうことで困っているんなら、俺は一肌脱ぐよ」
男は上司の厚意に感謝した。傘一本でここまで真剣に話を聞いてくれるとは有り難い。
今まで上司の話を勘違いして失礼を繰り返してきたが、それでも縁を切らずに自分を見守ってくれている彼に男は感謝する。
――しかし、その日の天気は崩れることなく、更に上司は傘の話題すら出さなかった。
一肌脱ぐとまで言っておきながら、嘘をつかれたと裏切られたような気持ちになった。
その三日後、男は上司に声をかけられた。
顔には笑みが浮かんでいる。ご機嫌の様子だ。嘘をついたというのに水に流せということなのだろうか。仕方なく男は上司のところに向かった。
「やったな。これを見ろよ! お前の願いを叶えてやれて俺は嬉しいよ。社長にまで頼んで大変だったんだぜ。お前がいなくなるのは淋しいが、俺はこれで役目を果たした」
男は肩を豪快に叩かれながら、上司が指差した壁に張られた紙を見た。重要連絡項という文字の下に何人かの社員の名前が連なっている。
その中に、男の名前も書き込まれていた。上司は愉快そうに笑った。
「いやー『転勤がいい』って言った時には驚いたよ。確かに日本は経済事情も悪くなっているからな。下り坂でも俺は日本がいいと思っていたが、お前の意欲には恐れ入ったよ」
重要連絡項には『発展途上国への技術提供者』と追加されている。
男は上司の言葉に愕然としながら、それはあなたの勘違いですよとは、自分の前科もあるので言えなかった。左遷か栄転か――今は後者であることを願うしかない。
ため息を含めて吐き出した呼気が白い。無意識に出た、生あくびも言葉になった。
「天気がいいですねえ」
会社員の男は屋上で休憩をしながら、隣でタバコを吸っている上司に語りかけた。
排気ガスで霞んだ景色とそびえ立つ摩天楼のお陰で狭い空ではあるが、雲ひとつない快晴が広がっている。
ところが上司は目を丸くしながら、男を見た。
「そうか? そうとは言い切れないだろう。雲行きが怪しいって聞いたぞ」
男は首を傾げた。朝に見た天気予報では降水確率はゼロといっていたはずだが……地域を間違えたのだろうか。毎日のことなので違う日の天気を記憶してきたのかもしれない。
「今はそのようには感じないですけど……」
再度、空を見つめた男に、上司は「いやいや」と手内輪をしながら言った。
「下り坂だって聞いたよ。しばらくは良くないらしい」
男は上司の話を聞きながら、地域を間違えたのだろうと考えた。
それにしても傘を持ってこなかったと後悔したりする。降水確率量はどれくらいなのだろうか。男は上司に目を向けた。
「確率はどれくらいなんですか? 天気が駄目なら、困るんですよね」
「確率? さあ……百パーセントに近いんじゃないか。でも、お前がそういうことで困っているんなら、俺は一肌脱ぐよ」
男は上司の厚意に感謝した。傘一本でここまで真剣に話を聞いてくれるとは有り難い。
今まで上司の話を勘違いして失礼を繰り返してきたが、それでも縁を切らずに自分を見守ってくれている彼に男は感謝する。
――しかし、その日の天気は崩れることなく、更に上司は傘の話題すら出さなかった。
一肌脱ぐとまで言っておきながら、嘘をつかれたと裏切られたような気持ちになった。
その三日後、男は上司に声をかけられた。
顔には笑みが浮かんでいる。ご機嫌の様子だ。嘘をついたというのに水に流せということなのだろうか。仕方なく男は上司のところに向かった。
「やったな。これを見ろよ! お前の願いを叶えてやれて俺は嬉しいよ。社長にまで頼んで大変だったんだぜ。お前がいなくなるのは淋しいが、俺はこれで役目を果たした」
男は肩を豪快に叩かれながら、上司が指差した壁に張られた紙を見た。重要連絡項という文字の下に何人かの社員の名前が連なっている。
その中に、男の名前も書き込まれていた。上司は愉快そうに笑った。
「いやー『転勤がいい』って言った時には驚いたよ。確かに日本は経済事情も悪くなっているからな。下り坂でも俺は日本がいいと思っていたが、お前の意欲には恐れ入ったよ」
重要連絡項には『発展途上国への技術提供者』と追加されている。
男は上司の言葉に愕然としながら、それはあなたの勘違いですよとは、自分の前科もあるので言えなかった。左遷か栄転か――今は後者であることを願うしかない。