短編集 ~一息~
『契約』
ある朝、男は現実離れした声を聞いて起きた。目覚めは非常に悪かった。なぜなら、視界に不気味としか言いようのない生物が飛びこんできたからだ。
「うわあっ!」
男は身動ぎしながら生物を凝視した。そうしなければ、襲いかかってくるのではという恐怖があったからだ。
すると生物は、攻撃の意思はないというように、腰をおろしてから話しはじめた。
「驚くのも無理はない。けど落ち着いて聞きな。俺は悪魔だ。お前と契約したくてきた」
得体の知れない生物の発言に男は目を丸くした。確かに浅黒い体とコウモリのような羽根は、納得するのに十分な容姿だった。男は唾を呑むと恐る恐る悪魔に訊いた。
「契約って? 願いを聞くから、魂をくれとかいうあれか?」
「意外と人間に浸透しているんだな、そのルール……当たりだ。どうする?」
悪魔に持ちかけられて男は悩んだ。人間に浸透したルールだ。俺の奴隷になれとか、願いを百個にしろとか、悪魔たちはわがままに付き合わされてきたに違いない。
「俺の奴隷になれとか、願いを百個にしろとかはなしだぜ」
男が言う前に悪魔は告げた。男は再び悩んだ。金か女か権力か……欲しい物はある。しかし、魂を代償にするとなると難しい。
「では……俺を幸せにしてくれ」
考えたあげく、願いはそこに行き着いた。悪魔は目を丸くして男を見た。
「幸せ? わからないな……人間の幸せの単位ってどんなもんなんだ?」
「普通でいいってことだ。それと途中で契約を切るとかはないだろうな?」
「契約は最後まで破ることができない決まりだ。けど本当にそれでいいのか?」
「ああ、できるか? 人間の一生は結構、長いぞ」
男の願いを聞いて悪魔は「悪魔の寿命と比べたら」と了承した。契約してから男は普通を満喫した。普通の生活をし、普通の家庭を築き、普通の地位を生きていく。そして、普通に寿命を迎える時が来た。
死期を迎えた男の枕元に飛来した悪魔が、彼の耳元で囁いた。
「さあ、お迎えがきたぜ。契約通りに魂をいただくとするか」
しかし、悪魔の言葉を聞いて男は笑った。
「契約通り? 違うだろう。お前が言ったのは契約違反だ。魂を奪われるのは、俺の幸せじゃない。そもそも、お前が俺の願いを叶えていたのかも疑問だ」
悪魔は目を見開いた。全身を震わせて歯噛みした。
「騙したのか。今まで……」
「騙したわけじゃない。お前が騙されたんだ。それと……」
男は言葉をとめる。悪魔は血縛った眼で男を睨みつける。男は続けた。
「俺の幸せは家族の幸せだ。言っている意味がわかるよな?」
悪魔は意味を理解したらしい。見えないものこそが、どんなものよりも価値があるのだということを。
「契約を解除してくれ。こんなの詐欺だ!」
泣き叫ぶ悪魔の声を耳元に、家族の永遠の幸せを願いながら、男は永遠の眠りについた。
ある朝、男は現実離れした声を聞いて起きた。目覚めは非常に悪かった。なぜなら、視界に不気味としか言いようのない生物が飛びこんできたからだ。
「うわあっ!」
男は身動ぎしながら生物を凝視した。そうしなければ、襲いかかってくるのではという恐怖があったからだ。
すると生物は、攻撃の意思はないというように、腰をおろしてから話しはじめた。
「驚くのも無理はない。けど落ち着いて聞きな。俺は悪魔だ。お前と契約したくてきた」
得体の知れない生物の発言に男は目を丸くした。確かに浅黒い体とコウモリのような羽根は、納得するのに十分な容姿だった。男は唾を呑むと恐る恐る悪魔に訊いた。
「契約って? 願いを聞くから、魂をくれとかいうあれか?」
「意外と人間に浸透しているんだな、そのルール……当たりだ。どうする?」
悪魔に持ちかけられて男は悩んだ。人間に浸透したルールだ。俺の奴隷になれとか、願いを百個にしろとか、悪魔たちはわがままに付き合わされてきたに違いない。
「俺の奴隷になれとか、願いを百個にしろとかはなしだぜ」
男が言う前に悪魔は告げた。男は再び悩んだ。金か女か権力か……欲しい物はある。しかし、魂を代償にするとなると難しい。
「では……俺を幸せにしてくれ」
考えたあげく、願いはそこに行き着いた。悪魔は目を丸くして男を見た。
「幸せ? わからないな……人間の幸せの単位ってどんなもんなんだ?」
「普通でいいってことだ。それと途中で契約を切るとかはないだろうな?」
「契約は最後まで破ることができない決まりだ。けど本当にそれでいいのか?」
「ああ、できるか? 人間の一生は結構、長いぞ」
男の願いを聞いて悪魔は「悪魔の寿命と比べたら」と了承した。契約してから男は普通を満喫した。普通の生活をし、普通の家庭を築き、普通の地位を生きていく。そして、普通に寿命を迎える時が来た。
死期を迎えた男の枕元に飛来した悪魔が、彼の耳元で囁いた。
「さあ、お迎えがきたぜ。契約通りに魂をいただくとするか」
しかし、悪魔の言葉を聞いて男は笑った。
「契約通り? 違うだろう。お前が言ったのは契約違反だ。魂を奪われるのは、俺の幸せじゃない。そもそも、お前が俺の願いを叶えていたのかも疑問だ」
悪魔は目を見開いた。全身を震わせて歯噛みした。
「騙したのか。今まで……」
「騙したわけじゃない。お前が騙されたんだ。それと……」
男は言葉をとめる。悪魔は血縛った眼で男を睨みつける。男は続けた。
「俺の幸せは家族の幸せだ。言っている意味がわかるよな?」
悪魔は意味を理解したらしい。見えないものこそが、どんなものよりも価値があるのだということを。
「契約を解除してくれ。こんなの詐欺だ!」
泣き叫ぶ悪魔の声を耳元に、家族の永遠の幸せを願いながら、男は永遠の眠りについた。