短編集 ~一息~
『運命的な出会い』

 ペットショップの朝ははやい。開店二時間前には店に着いていなければ間に合わない。
 子犬の世話、店内清掃、つり銭確認。予約客の名簿も出して、スケジュール表と合わせ見る。段取りを間違えると信用問題に関わるからだ。
 そう、私は犬を取り扱っている。けれどもお客さまは人だ。
 話せないお客さまと話せるお客さま。一人と一匹のお客さまに対応することの難しさ。憧れだけではできない仕事といってもいい。
 店に着いた私は、まず車から子犬を入れているキャリーバッグを降ろした。
 夜間、店内に子犬を置いていく店もあるが私は違う。幸せな家庭に飼われるまで責任もって面倒を見てあげる。それが私たちの仕事だと思っている。
 裏口からキャリーバッグを抱えて入り、展示ガラスで仕切られた場所に子犬を入れていく。狭いバッグから解放された子犬たちは嬉しそうに大暴れをはじめた。
 一緒に入れる子の相性も考えて作業を終えると、今度は餌と水を子犬に与える。車酔いする子もいるので、店に着いた時にあげることにしているのだ。
 慌ただしい一日の始まりの作業を終えて、取り敢えず一息吐く。
 すると、
「店長、入口にキャリーバッグがひとつ、残されていたみたいなんですけど」
 出勤してきたチーフトリマーがキャリーバッグを片手に姿を見せた。
「入口?」
 おかしい。入口にキャリーバッグは置かなかったはずだ。連れてきた頭数も確認済み。
 それでは何故――。
「見せて!」
 思わずキャリーバッグの中を覗きこんだ。毛色は茶だ。大きさからしてポメラニアンだろうか。
「バッグの他に何かなかった?」
 チーフは首を横に振った。嫌な予感がした。触ったバッグが氷のように冷たい。
「とにかく店内へ。犬をトリミング台に出そう」
 店内は生体がいるコーナーと製品コーナー、美容ルームで分けられている。美容ルームに入ると、犬を載せる台、トリミングテーブルにバッグを載せた。
 この時、中に入っている犬は警戒しているので、無闇に手を入れないほうがいい。バッグを斜めにして犬を出す。出てきたのはやはり予想通り、成犬オスのポメラニアンだった。
「足を引き摺ってる……」
 しかも寒さと不安で小刻みに震えていた。一体何時間、放置されていたのであろうか。
 あるのだ。こういうことが。責任もって面倒を見ない飼い主の許せない行動が――。
「パテラだから、捨てられたのかもしれない」
 足を引き摺っていた理由はそれだ。
 膝蓋骨脱臼をパテラという。膝が外れる病気で小型犬には特に多い。症状も軽いものから重いものまである。はずれた膝を自分で入れているこの子は、軽度の慢性型のようだった。
「とにかく、水をあげないと」
 脱水症状に陥っていることも考えられる。水とともに預かりコーナーの中に入れると、飼い主を探すように鼻を鳴らしはじめた。
 犬は群生動物、集団の中で生きる。一匹で生きていくことができない。それは人間と同じだ。つらい目に遭っても飼い主を信じ続ける動物なのだ。
 店は十時になると開店する。様子を見ながら仕事をすることにした。
 来店したお客さまに、「知っている子ですか」と訊いても、皆が首を振った。
 預けられて、奇麗になった犬には飼い主がいて迎えにくる。
 しかし、彼にはこない。迎えにきてくれると信じているのだろう。入口が開く度に足を引き摺りながら立ちあがっていた。

 閉店時間は八時だ。
 待っていた彼を見ると体を丸めて寝ていた。しかし熟睡はしていないようで目を開けてこちらを見ている。
「店長、私考えたんですけど、この子は店のマスコットにしませんか。飼い主が戻ってくるかもしれないし、私が責任もって世話をしますから」
「里親を探す方法もあるけどいいの?」
「運命的な出会いもあると思いますから」
「そっか……」
 チーフと顔を合わせて私は笑った。
 そう店頭にいる彼らは商品ではない。命なのだ。同じ個体は存在しない。
「名前を決めてあげないとね」
 チーフが手を差し出して語りかけると、彼は小さく尾を振りながら舐めていた。
 明日も運命的な出会いを求めて、飼い主さんがくるはず。
 子犬たちをキャリーバッグに入れながら、彼を抱いて帰るチーフに「おつかれさま。また明日」と言って手を振った。
 星が綺麗だ。明日も天気はきっと晴れ。忙しくなりそうだ。
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