短編集 ~一息~
『森の人』

 俺は電車とバスを乗り継いで山多い場所にきていた。肩にはカラにちかい状態のリュックサック。手元に身分を証明するものはない。
 人の目を避けて登山道に入ると、道をはずれて奥へ入る。季節は晩秋、足元には落ち葉が敷き詰められ、歩く度に葉を掻き分ける音がなる。
 ドングリが落ちていたり、アケビのツルもある。この時期は冬眠前のクマに出会うことも考えられるだろう。キツネやタヌキもこの山にはいると聞く。
 二年前、俺は旧友に事業をあげると聞かされ、連帯保証人になってくれと頼まれた。
 会社が大きくなったら借りた分を三倍にして返すから。その言葉に踊らされた俺が馬鹿だった。安易に事業をはじめる者が成功するわけがない。一年で友は破産して姿を消した。
 そのため、俺に返済が求められるようになった。大金のため、一度に払えるあてもなく、払っても払っても利子だけが追加されていく。借りた金の倍は払ったはずなのに返済が終わらない。そして、絶望の道に行き着いた。
 そう、俺は死ぬためにこの山にきたのだ。死に場所を求めて更に奥へいく。
 手頃な高さの木を見つけると、持ってきた縄を取り出して太い枝に括りつけた。
「すみません。どうか、お助けください」
 その時だ。突然、姿を見せた女性に俺は驚いて動きをとめてしまった。
「私ではどうにもならないのです。どうかお力を貸してください」
 こんなところに女性がいるのはおかしい。しかも和服で草履だ。背筋に悪寒が走った。
 幽霊なのではないだろうかと妙な詮索をしてしまったのだ。
「こちらです。お願いします」
 女性が手を伸ばして俺の腕を取る。しっかりと体温があるので安心した。半ば強引に腕を引かれた俺は、断ることもできずに道なき道を行く。
 そして、女性が立ちどまったところには、罠に足を挟まれた子狐がいた。
「この子を助けてあげたいのです」
 言って女性が大粒の涙を流す。罠は猟師が仕掛けた物だろう。おそらく毛皮にされて、猟師の収入源になるはずだ。
 だが、罠にかかったのは子狐だ。しかも疲れきっているのか俺を見ても暴れようともしない。
 俺は近くにあった木の棒を取ると、それを罠の口に差し込んで力任せにこじ開けた。
 開いた途端、子狐が腕を引っ込める。自由を得た子狐は俺を見ながら不思議そうに首を傾げた。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
 助かった子狐を見て女性は何度も頭をさげた。
「いえ、お力になれてよかったです」
「お蔭で、この子が命拾いしました。お礼をしたいのですが、お金でいいでしょうか」
 降って湧いたかのような女性の言葉に俺は驚いてしまう。金がなくて悩んでいた俺に、お礼の金とは。いや、期待してはいけないと首を振る。
「いや、しかしそれを受け取るわけには……」
「一週間です。それ以上は戻ってしまうので、すぐにお使いくださいね」
 俺の話が聞こえなかったのか、女性は座り込むと落ちた葉を撒き散らした。何度も何度も。その落ち葉が驚くことに一万円札に変わっていた。
 信じられない光景に俺は言葉を失うしかない。
 数分後には地面が落ち葉ではなく札だらけになっていた。
「私はこの山で亡くなった人間をたくさん見たことがあります。変な生き物ですね人間は。何故、自ら命を断つのか、この大自然に命を握られている私にはわかりません」
 背を向けた女性には尾があった。子狐と同じ色形。それよりも大きな尾が。
 彼女は誰よりも人の死を見てきたのだろう。この山で俺のように悲観して死を選んだ者たちを。
 まるで俺の考えていることを読み取るかのように女性は言うと体を翻し、人間ではない姿、黄金色の輝きをはなつ美しい狐となった。
 俺は呆然とした状態で狐の親子を見送ると、彼女が舞い散らせた大量の紙切れをリュックに入れて山を降りた。

 次の日、その金で残りを返済して、金を借りた相手から返済確認の書類を受け取ると、俺は引っ越しの準備をして家を出た。
 奴らがくるかもしれない。引っ越してからも、そんな日々にしばらく怯えたが、後にその相手が高金利貸しとわかり、俺は金という束縛から解放された。
 それは晩秋に出会った不思議な出会いと物語。
 しばらくしたら、あの山にまた行こうと思う。今度は登山で狐の姿を見たい。
 その時は、あの子狐も成長していることだろう。
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