短編集 ~一息~
『どっちだ?』
夏は帰省シーズン。小学生だった頃の私は盆近くになると、毎年祖父の家に行っていました。広い庭――いや、もうこうなると敷地というような広さですが、柿の木や桃の木、栗の木があり、畑では野菜を育てていました。
樹液や果汁を目的に昆虫がたくさんきます。網を持って駆け回る楽しみがありました。
都心では絶対にない自然があり、すこし歩いていったところには魚釣りやザリガニ捕りもできる小川。暗くなるまで時間を忘れてしまう遊び場がたくさんありました。
遊びつかれると縁側で収穫したばかりの野菜にかじりつきながら、夕食を待ちます。
その私に麦茶を持ってきた祖父が隣に座ると、こう言いました。
「どっちだ?」
私の前に出された祖父の握った両手。その中の片方には何かがあるということでしょう。
「何が入ってるの? いい物?」
「いい物かどうかはわからないな。お前は訊かれたら、そう答えるか」
普段、にこにこと笑って冗談をいうような祖父が、この時ばかりは真剣な表情でした。
「その土地に住み着く妖怪というものを知っているか。ここにはいるんだよ」
しばらく話す間を開けると、祖父は続けました。
「妖怪、どっちだ」
どうやら、その妖怪は祖父と同じように両手を出し、「どっちだ?」と訊いてくるようなのです。右が左かに答えはありません。欲がある者が答えると、その年は病気がちになるそうです。
「その妖怪は病気で亡くなった子供の霊が姿を変えたものと言われている。どっちだが床に伏せっている時、病気がうつるのを恐れた者たちは離れていったらしい」
「かわいそうな妖怪なんだね」
「そう、かわいそうな妖怪なんだよ。どっちだ? と訊くのは遊びたいからなんだ」
それだけ言うと、祖父は「夕食だよ」と言って場を離れました。
何故、そんなことを祖父は私に教えたのでしょうか。妖怪がいるなんて話を聞いたら、子供の私は怖くなりますし、絶対に会いたくないと思います。
しかも、妖怪に会った時の対処法を教えてくれませんでした。
翌日、私は怖くて遊びにいけませんでした。
けれど、次の日には暗くなる前に帰ってくれば平気だと思って川に出掛けました。
日が経つにつれて、祖父に聞いた話の記憶が薄れてきます。
その頃です。私は、たくさんとれるザリガニ捕りに夢中になり、ひとりで暗くなるまで遊んでいました。そして、声をかけられたのです。
「どっちだ?」
背筋が凍りました。恐る恐る振り返ると、寝間着姿で裸足、顔色の悪い子供が立っていました。すぐにわかりました。これが妖怪どっちだなのだろうと。
逃げようかと思いましたが、足が全く動きません。病気になった、どっちだのもとを離れて行った者たちへの怒りがきっと私を縛りつけていたのでしょう。
私は必死に祖父が言っていたことを思い出そうとしました。
「かわいそうな妖怪」「どっちだ? と訊くのは遊びたいから」
震える唇に気づかれないように、私はどっちだにこう答えました。
「ザリガニあげるよ。一緒に遊ぼう」
そう答えると、どっちだは困った顔をしました。自分の握った手を見つめています。そして、片方の手を広げるとザリガニを取りました。
「今、広げたほうが当たり?」
思わず出てしまった私の問い。どっちだは笑みだけ浮かべると私に言いました。
「一緒に遊ぼう」と。この土地でできたはじめての友達です。
しばらく遊んでいると、心配した祖父が迎えにきました。その時にはどっちだは姿を消していなくなっていました。
この後に祖父に聞いた話ですが、どっちだは悪い妖怪ではないそうです。
欲のない正しい答え方をし、優しく接したら良いことが起こるようになるといいます。
それはまるで座敷わらしのようで……しかし、遊ぶのが目的の妖怪なので、出会えるのは子供の時だけです。
間違った答えをした時は、一年病気がちになるだけ。けれどこれは本当のことなのでしょうか?
私はどっちだと遊んでいる時、彼の屈託のない笑顔が素敵だなと感じました。
この妖怪が伝えたいことは何なのか。私は、もうすこし考えることにします。
そして、私が帰省した場所は伏せておきましょう。きっと、どっちだは何処にでもいるような妖怪でしょうから――。
夏は帰省シーズン。小学生だった頃の私は盆近くになると、毎年祖父の家に行っていました。広い庭――いや、もうこうなると敷地というような広さですが、柿の木や桃の木、栗の木があり、畑では野菜を育てていました。
樹液や果汁を目的に昆虫がたくさんきます。網を持って駆け回る楽しみがありました。
都心では絶対にない自然があり、すこし歩いていったところには魚釣りやザリガニ捕りもできる小川。暗くなるまで時間を忘れてしまう遊び場がたくさんありました。
遊びつかれると縁側で収穫したばかりの野菜にかじりつきながら、夕食を待ちます。
その私に麦茶を持ってきた祖父が隣に座ると、こう言いました。
「どっちだ?」
私の前に出された祖父の握った両手。その中の片方には何かがあるということでしょう。
「何が入ってるの? いい物?」
「いい物かどうかはわからないな。お前は訊かれたら、そう答えるか」
普段、にこにこと笑って冗談をいうような祖父が、この時ばかりは真剣な表情でした。
「その土地に住み着く妖怪というものを知っているか。ここにはいるんだよ」
しばらく話す間を開けると、祖父は続けました。
「妖怪、どっちだ」
どうやら、その妖怪は祖父と同じように両手を出し、「どっちだ?」と訊いてくるようなのです。右が左かに答えはありません。欲がある者が答えると、その年は病気がちになるそうです。
「その妖怪は病気で亡くなった子供の霊が姿を変えたものと言われている。どっちだが床に伏せっている時、病気がうつるのを恐れた者たちは離れていったらしい」
「かわいそうな妖怪なんだね」
「そう、かわいそうな妖怪なんだよ。どっちだ? と訊くのは遊びたいからなんだ」
それだけ言うと、祖父は「夕食だよ」と言って場を離れました。
何故、そんなことを祖父は私に教えたのでしょうか。妖怪がいるなんて話を聞いたら、子供の私は怖くなりますし、絶対に会いたくないと思います。
しかも、妖怪に会った時の対処法を教えてくれませんでした。
翌日、私は怖くて遊びにいけませんでした。
けれど、次の日には暗くなる前に帰ってくれば平気だと思って川に出掛けました。
日が経つにつれて、祖父に聞いた話の記憶が薄れてきます。
その頃です。私は、たくさんとれるザリガニ捕りに夢中になり、ひとりで暗くなるまで遊んでいました。そして、声をかけられたのです。
「どっちだ?」
背筋が凍りました。恐る恐る振り返ると、寝間着姿で裸足、顔色の悪い子供が立っていました。すぐにわかりました。これが妖怪どっちだなのだろうと。
逃げようかと思いましたが、足が全く動きません。病気になった、どっちだのもとを離れて行った者たちへの怒りがきっと私を縛りつけていたのでしょう。
私は必死に祖父が言っていたことを思い出そうとしました。
「かわいそうな妖怪」「どっちだ? と訊くのは遊びたいから」
震える唇に気づかれないように、私はどっちだにこう答えました。
「ザリガニあげるよ。一緒に遊ぼう」
そう答えると、どっちだは困った顔をしました。自分の握った手を見つめています。そして、片方の手を広げるとザリガニを取りました。
「今、広げたほうが当たり?」
思わず出てしまった私の問い。どっちだは笑みだけ浮かべると私に言いました。
「一緒に遊ぼう」と。この土地でできたはじめての友達です。
しばらく遊んでいると、心配した祖父が迎えにきました。その時にはどっちだは姿を消していなくなっていました。
この後に祖父に聞いた話ですが、どっちだは悪い妖怪ではないそうです。
欲のない正しい答え方をし、優しく接したら良いことが起こるようになるといいます。
それはまるで座敷わらしのようで……しかし、遊ぶのが目的の妖怪なので、出会えるのは子供の時だけです。
間違った答えをした時は、一年病気がちになるだけ。けれどこれは本当のことなのでしょうか?
私はどっちだと遊んでいる時、彼の屈託のない笑顔が素敵だなと感じました。
この妖怪が伝えたいことは何なのか。私は、もうすこし考えることにします。
そして、私が帰省した場所は伏せておきましょう。きっと、どっちだは何処にでもいるような妖怪でしょうから――。