短編集 ~一息~
『死神がきた1』

 いつもと変わらない週末の朝。
 すこし遅く起床した俺は、大盛りのカップ麺を食べてから自室に戻った。
 そこで、自室にないはずの爽やかな香りがあるのに気づいた。
「はじめまして。そして、現世にさようなら。私は死に神です。本日は、あなたと話をしに参上いたしました」
 言われて俺は驚きで動きをとめる。目の前にいたのは、とても死に神とは思えない優男だったからだ。
 しかも香水をつけているとは現代風か! それと、挨拶の後は決めゼリフか?
「まず、本当に死に神か? という問いは受けつけておりません。もう聞き飽きていまして。そして、死に神は命を刈り取るものではありません。これは重要事項でして。あの世は現在、あふれ返っておりまして、順番待ちの状態となっております。そこで、まだ死ぬにははやい年齢の方に、もれなく生存チャンスを与えているのです。つまり我々、死に神が参上するわけです」
 メモ帳を取り出した自称、死に神が一気に説明する。
 頭がおかしい奴が不法侵入したのかと思ったが、そうではないことに気づいた。男は両足が地面についていない状態で浮遊し続けていたからだ。
「本日午前十時に、あなたは散歩に出ます。その散歩途中、あなたは背中を押されて車道に。車にはねられます。これを回避してください」
「死因を教えるのかよ! ちょっと待て。押される? 誰に……」
「あなたの恋敵です」
「それも教えるのかよ!」
 心当たりを考えている途中で答えを聞いて、思わず突っ込んでしまった。死に神は「特別サービスとなっておりまして。今ならラッキーチャンス付きなのです」と言う。
 生きるか死ぬかの時にラッキーチャンスも変だと思ったが、まずは恋敵のことだ。
 ――誰だ? 俺には彼女はいないぞ。ということは、俺に片思いをしている女子がいるということか。
「起きたのなら、散歩に行ってきて!」
 その時、母の声が階下から響いた。愛犬の朝の散歩の時間か。見ると十時十分前だ。
 時間を見て嫌な汗をかく。散歩途中で俺は死ぬことになっているからだ。
「母さん、悪い! 気分が悪くて吐きそうだからパス」
「嘘おっしゃい。大盛りのカップ麺を食べていたじゃない!」
 理由をつけてサボろうと思ったが、食事の様子を見られていたらしい。事故の回避はできないのか……散歩に行くしかなさそうだ。
「言い遅れましたが、運命の修正は無理なのです。つまり、その場に行くことにはどうしてもなってしまう訳ですね。どうやら回避には、その場の行動が重要みたいです」
「その場の行動って……恋敵が誰かもわからないのに」
 母が階段をあがってくるのが聞こえて、慌てて部屋を出る。散歩をしないと食事抜きとか言われそうなので、はやくしないと。死ぬ直前に食事のことを考えるのも変だが、突然、死ぬと言われても実感がわかない。愛犬が尾を振って寄ってくるので、いつも通りに首輪をつけて外に出る。
「散歩途中に車道に……だよな。ということは、車道に出ないようにしたらいいのか」
「いや、先程も言いましたが、その場の行動が重要なのです。そうでなければ、運命の日は延期となってしまいます。あっ、現場はあの信号機の前です」
「それも教えるのかよ!」 
 死に神は「とにかく、あの世は人であふれ返っておりまして」と汗を拭いながら言う。
 だったら、死なないことにしてくれたらいいんじゃないかと思ったが、そういう訳にはいかないのだろうか。
 とにかく、いつも渡る信号には行かないといけないのか。周囲を見たら誰もいない。恋敵って誰だ? 人物が不特定の状態なので、近づいてくる者全てが怪しく思えてしまう。
「あれっ、散歩? この時間に会うのははじめてだよね」
 その時、同じく犬を連れたクラスメイトの女子に声をかけられた。
 もしや、この話が切っ掛けで恋敵が現れるのかと思う。
 しかし、見回しても、それらしき人物の姿はない。
「その子メスなのね。うちのはオス」
 女子の飼っている犬が、俺のうちの犬に鼻を寄せて臭いをかごうとする。
 それを、うちの犬は嫌がって俺の背後に隠れた。
 その瞬間、俺は恋敵に押された。つまり、クラスメイトの女子が連れているオスに。
 車道に出てしまう。俺は死んでしまうのか。犬の嫉妬のせいで――。
 そう思った時、押し返された。慣性の法則に反して倒れ込んだ俺を見て、女子が目を丸くして驚いている。俺以外は死に神が見えないのか。
そう、俺を助けてくれたのは、あの死に神だった。
 何故、あそこまで俺に注意して、死に神は助けてくれたのか。
 死に神は困ったように頭を掻きながら言った。
「お役所仕事というのも困ったものでして。規則を破ってはいけないし、面倒も処理しないといけない。あっ、私が助けたことは上層部には内緒ですよ。こちらの書類に、自ら危険を回避したという証明のハンコをお願いいたします。それと本当に死んだ時には、死に神として就職していただけると幸いです」
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