遠すぎる君
7月。
新しい環境に慣れるのが大変で
誕生日のことなんてすっかり忘れていた。

お母さんはいまだ必死でパートの仕事をしている。
昼はスーパーのレジ。夜は繁華街のお弁当屋さん。
ずっと銀行マンの妻におさまっていたから
突然の仕事は精神的にも肉体的にもかなり辛そうだった。

私は家事を一手に引き受け、
学校に内緒で
古びた喫茶店で週4日バイトをしている。
合格発表後すぐからなので、もう四ヶ月。

家に近い高校を選んだんだから、
その喫茶店も裏通りとはいえ高校の近くだった。
でもそこは知る人ぞ知るという感じで
高校生なんて来ない。
白髪のマスターがやっている渋い暗い店だった。

チリン

「いらっしゃいま…」

「あ、いつものね。」
ここに一人だけいた。高校生の客が…

にこやかにカウンター席に向かうのは岸田先輩。

慣れた様子でガタンと古びた椅子に座る。

夕食前の時間はあまり客が来ない。 

マスターが「お、いらっしゃい」と言い
「ちょっと出てきていいかな?」とエプロンを外す。

いつもの事だ。

何を勘違いしてか、
岸田先輩が来るようになってから
マスターはいつも30分ほど居なくなる。

ホットケーキとか通ったらどうしたらいいんだろう……

いつも不安。

目の前の岸田先輩はお気楽で
私の淹れたコーヒーを飲んでいる。

「さすがに様になってきたよね♪」

「私?そうですか?……でもまだ飲み物しか出来ないんですけどね。」

だからマスターに早く帰ってきてほしいんです
と言うと、岸田先輩は口を尖らせた。

「大丈夫だろ。コーヒーの注文しか聞いたことないし。」

「でもいつ通るかわかんないし…」

「俺、サンドイッチは無理でもホットケーキなら焼ける。」

え?そういう問題?

「私も焼けますけど…店のとは違うし」

ま、来ない注文の話しても仕方ないじゃん

勝手に話を終了させられた。

「でも…こんないい店、なんでだれもこないんだろ」

「マスターはこんな感じでいいって言ってるんですけどね。
午前中や昼過ぎなんかは結構賑わってるみたいですよ。」

そうなの?
と、かわいく首を傾げている。
ほんとにかわいいイケメンだ。



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