遠すぎる君
いつぞやのレトロな喫茶店の入り口から見えないところに自転車を停めて、俺は窓からこっそり覗いた。
「すいません」と呼ばれたその後の「は~い」という声に胸を打たれる。
さっき聞いた声とは似てるけど違う。
俺の知ってる、小鳥が囀ずるみたいな可愛い声だ。
喫茶店に入ろうとして入れなくなった。
この憂いのない朗らかな仕事中の声をもっと聞いていたかったから。
しおりには彼氏がいるんだろう。
だけど俺はここに来てしまった。
俺がここに来ること自体、しおりには困るのかもしれない。
だから俺が姿を見せればきっと曇った声になる……かも。
そんな意気地の無い事をグチグチと思っていたら喫茶店の扉か開いた。
「入るの?」
お客さんらしき人が俺に扉を開けて待ってくれていた。
「あ、すいませんっ!」
俺、今日焦ってばっか。
急いで入った店内は暗いがゆったりと音楽が流れていて、コーヒーを挽いた香りが充満していた。
一番に目についた席に座る。
入ってしまった……
しおりとここで何か話せる訳もないのに。
がっくり肩を落としたら、テーブルの横に足が見えた。
「……いらっしゃいませ」
そこには、会いたかった人がいた。
「あ、」
どうしよう。
何も出てこない。
えっと、えっと……
俺はポケットの中に手を突っ込んだ。
まるで助けを求めるみたいにネックレスに触る。
「あ、あの……ご注文は……」
「え?あ!あっと……コーヒーください。」
「……ブレンドでいい…ですか?」
ブレンド?ホットコーヒーだよな……
しおりを見ながら俺は回らない頭をフル回転させた。
暑いなか自転車を漕いできたのと、さっきのしおりの母親とのやり取りで喉がカラカラなのを今思い出した。
「あの!やっぱり……コーラください……」
と言ってから、ここがコーヒー専門店だと思い出し、恥ずかしくなった。
「はい。コーラですね?お待ちください。」
俺のヘンテコな注文を淀みなく復唱したしおりはクスクスと笑っていた。