遠すぎる君


そこには髪を下ろしたしおりが立っていた。
エプロンと髪ゴムを取った彼女は雰囲気が違う。
優しげな表情の彼女は、照れたような笑みで俺を撃ち抜いた。

「私に会いに来てくれたんじゃ……無かったんだ?」

小悪魔みたいなセリフだな……
こんな小悪魔ならいいなぁとぼんやり思う。
帰った訳じゃなかった事がこんなに嬉しいなんて。
だから言葉を返すことを忘れて、しおりを見つめてた。

「偶然……なの?ほんとに。」
悲し気なしおりの声に、ハッと目的を思い出した。

「ちっ、違う違うっっ!会いに来たんだ!」
往来の真ん中で大声を出した俺は、自分の大声にビックリした。
もっとビックリしたのはしおりだろう。顔を真っ赤にさせていた。

俺ってバカ……
自転車を支えてない反対の手で、自分の口を押さえた。

「あ、あの……送るよ……」
そして、しおりの家の方向に自転車を押した。

しおりは黙って俺の横に並び、同じ速度で二人は歩き出した。


「あ、これ……マスターがお釣りって……」
俺より小さな掌に小銭が乗っていた。

「サービスした意味無いからって」
クスクス笑うその声が耳をくすぐる。
小銭を受け取る時に触れたしおりの指は、俺より冷たく心地よかった。
「サンキュ」
「マスター、ビックリしてたよ。急に帰っちゃったって。」
「お前が帰ったと思ったんだよ……」
「そんな訳ないよ。コーヒー専門店にこの時間に入ってきた遼を置いて?しかもコーラ飲んでるし……アハハ」
「もう……笑うなよ!俺だって場違いだと思ったんだからよ……」

歩きながらもお腹を抱えんばかりに笑っているしおりを見て、

時が止まればいいのに

そんな少女漫画みたいなことを初めて思った。

だけどそんなはずもなく、すぐにしおりの家の近くまで来てしまった。

「ちょっと話せないかな?すぐ済む。」
俺の真面目な声に
「うん」
しおりの声は少し強張っていた。

ここは以前しおりと別れた時の公園。
そんな俺達にとっては曰く付きの公園にゆっくり足を踏み入れた。
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