イジワル上司と秘密恋愛

隣に座った綾部さんから感じるムスクの香りと仄かな体温。

たった数週間ぶりなのにそれがすごく懐かしくて恋しくて、私は彼に抱きついて胸板に顔をうずめたい衝動を必死に抑える。

——分かっている。私、まだ綾部さんのことがすごく好き。

彼と別れてからずっと押し込めていた気持ちが、あっけないほど溢れ出して、それは冷たい涙になって私の瞳から零れそうになった。

こんなとこで泣いちゃ駄目だと、焦って下を向き唇を噛みしめる。

綾部さんは手元のグラスを揺らしてワインをひとくち飲んでから、正面を向いたまま他の誰にも聞こえないほど小さな声で話し出した。

「……ここを発つのに、俺は春澤のことだけが心残りだよ」

「え……」

驚いたけれど、私も彼の方を向かず顔を正面に向けたまま耳を傾けた。

「俺なりに真剣に愛したつもりだったんだけどな……届いてなかったってことは、ひとりよがりだったんだって後悔も反省もしてる」

彼のそんな台詞に、答えることも頷くことも出来ない。

誠意のない関係のなかで『真剣に愛した』なんて台詞。悲しくて、嬉しくて、心をかき乱すばっかりで。
 
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