イジワル上司と秘密恋愛
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「うそ……」
待ち合わせ場所に着いた私は、こめかみに冷や汗を流しながら辺りを見渡した。
タクシーの運転手さんが私を降ろした後も車を出さず、心配そうに窓から声をかけてくれる。
「お嬢さん、本当にいいの? 見ての通りここは人っ子一人通らないよ?」
運転手さんの言う通りあたりに人の気配は全くなく、生い茂った草むらからリーリーと虫の声が聞こえてくるだけだった。
だって、綾部さんが指定したこの崩台ホテルは……ずっと昔に潰れたと思われる廃墟ホテルだったのだから。
ただでさえ不気味な建物が夜の闇に紛れてゾッとするほど不気味に見える。
思わず身を翻してタクシーに乗り込もうと思ったけれど、もしかしたら綾部さんは会社の人目を気にしてここを選んだのかもしれないと考え直し、私は留まる決意をした。
親切な運転手さんは何度も「大丈夫かい?」と心配してくれて、帰りの足に困らないようタクシーの呼出し番号まで教えてくれて行った。
そして車が道路に去ってしまうと、あたりはますます暗闇に包まれる。
時計代わりのスマホを見れば時間は八時を少し過ぎたところ。
「綾部さんの馬鹿〜早く来てよお……」
私は綾部さんの姿をキョロキョロと探しながら、なるべく廃墟のホテルから離れて道路に近い敷地に立っていた。