ベナレスからの手紙

帰国

若林治は3年ぶりの帰国だった。見た目には黒く日焼けしただけの
同じ日本人のはずなのに、感覚はまるで異邦人だった。

羽田について広島方面行の新幹線に乗り込むまで間、東京の
ビジネスマンの歩調に強烈な違和感を覚えた。

なぜそんなに急ぐ?黙々と足早に突き進む日本ビジネス軍団の
行く先は大きな崖っぷちのようにに思えた。

肌寒い初冬の風、学園紛争の終末を見た70年の秋口に日本を飛び出して
ヨーロッパ、中近東、インドとまわりやっとの思いで帰国したのだ。

京都へは寄らずに直接広島へと向かった。久しぶりだ。広島駅から
岩国行きの普通に乗り換えると、広島弁が懐かしい。

宮島口と言う駅で降りる。日本三景の一つ安芸の宮島の対岸である。
瀬戸内の穏やかな冬の海、夕暮れ時のか弱い日差しの中に海の匂い。

牡蠣殻の山と牡蠣打ちの音。国道沿いを西へと歩く。大きな別荘や
保養所が見えてきてチチヤス牧場へ右折する手前に我が家がある。

小さい料亭である。両親はすでになく歳の離れたお人よしの義兄夫婦
が後をついで、治と二つ下の息子と暮らしている。
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