ベナレスからの手紙

杏子の日記4

次の赤い糸は翌3月だった。杏子は広島にいて新聞で合格者の中に
若林の名前を見つけた。うれしかった。必ず連絡があるはずだ。
ところが何かと忙しいらしく何の連絡もない。もう忘れたのかしら。

その年の暮れにやっとの手紙が来た。その返事を書いていながら杏子
はその手紙を投函していない。なぜだ?次の赤い糸は12月だった。

「今日郵便受けを開けてみると私宛の手紙が入っていた。若林さん
からの手紙だ。ほんとに久しぶり。すぐに開封し読んでみると、
去年の暮れの桃山御陵のことが書いてあった。よく覚えているあの時
のことは。若林さんも覚えていてくれたんだ。さあ返事を書こう。
私のとげのこともしっかりと書かなくちゃ」

「なかなか思うように書けない。とげのことを書こうとすると何と
無く怖くなって体が震えてくる。この1年私も母も小康状態が続い
ている。医者が大丈夫と言ってくれているから大丈夫なのだと
何度も自分に言い聞かせる」

「とげのことを書くのは止めることにした」

「やっと書き上げた。あれもこれもと思ったけれどこのくらいに
しておこう。1週間もかかってしまった。明日の朝もう一度読み
直してから投函しよう」

「朝広島の父から電話。お母さんが倒れたから至急帰ってきて
くれとのこと。入院先は広島原爆病院。大急ぎで広島に帰る。
若林さんへの手紙を机の上に置きっぱなしにしてきてしまった」

なるほど、そのあとドタバタとして出せなかったのか。お母さん
の入院は3か月に及び、その間母の看病と父の世話とで期末試験に
数日京都に戻ったきりで手紙どころではなかったのだ。

治の方は学園紛争が始まり朝昼晩とアルバイトに没頭する。杏子は
母の退院の後看病疲れで倒れ1か月入院する。このころから赤い糸
が増えてきた。

「今日やっと母が退院。久しぶりに家族3人我が家で眠る。明け方
背骨に激震が走る。体中がほてって熱い。夕方には耐えきれずに
倒れてしまった。倒れるときに若林さん助けてと叫んだそうだ。
はずかしい。」
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