恋愛渋滞 〜踏み出せないオトナたち〜


立て続けにショックなことが続いたことから、琴子は衝動的に、自分の青白い手首にカッターの刃を突き立てた。

けれど、実際に自分の身体を傷つけることはできなかった。

なぜなら彼女はそのとき、俊平に初めて会った日に言われた言葉を思い出したからだ。


“死ぬとか、簡単に言うなよ――”


あの日、あのとき俊平と出逢って、その言葉をもらったから、自分はこうして生きて来られたのだ。

毎日の生活は楽しいことばかりではないけれど、でも、そう悪いものでもない。


それを教えてくれたのは、俊平だったのに。

今では彼のせいで、死にたくなっているなんて。


『う……っふ、ぇ……っく。ひっ……』


泣き崩れた琴子の手から離れたカッターが、床に落ちて転がった。

頭の中も、心も、嵐が襲ってきたかのようにぐちゃぐちゃだった。


(このまま、一人ぼっちの部屋で、自分の心と向き合い続けたら……私。いつかきっと壊れちゃう……)


胸がちぎれてばらばらになりそうな痛みを、たった一人で堪える自信がなかった琴子。

彼女は、自分の味方になってくれそうな人物はいないかと必死で思いを巡らせて、それから一人の顔が、頭に浮かんだのだ。

いつかもらった名刺が、財布の中にあったはず。

優しくて、大人で。
頭もよく口もうまい彼なら、きっと混乱している今の自分を落ち着かせてくれる。

そんな思いから、琴子は泣きながら彼に電話を掛けたのだった。



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