恋愛渋滞 〜踏み出せないオトナたち〜
『ホント。信じてたよ。沢野も中野も、俺のカワイイ弟子だもん』
「先生……」
『……司法修習も、頑張って。俺はそばにいてやれないけど、沢野なら大丈夫。いっぱいいろんな経験しておいで』
(そっか……司法修習がはじまったら、もう事務所には行けないんだ)
ふいに寂しい気持ちがこみ上げてきて、夏耶はぎゅっとスマホを握りしめる。
それから掲示板の前を離れ、駅の方向に歩き出しながら彼女は言った。
「このあとは直接家に帰っていいって話でしたけど、これから事務所に寄ります。こうして私が無事合格できたのも、先生のおかげですし……直接お礼を言わせて下さい」
もうすぐ午後五時になろうかという街は、少しずつ夕焼けの色に染まっている。
今日はお礼を言うくらいの時間しかないけれど、後日改めて、お世話になった桐人と豪太には何か贈り物をしたい。
そんなことを考えながら歩いていると、耳元のスマホから桐人の困ったような声がした。
『あー……沢野、それは無理だ』
「え?」
『今俺、成田にいるの。空港。これから発つからさ』
「発つ……? 仕事……ですか?」
それにしても急すぎるし、事務所を放ってどこへ行くというのだろう。
ぽかんとして立ち止まると、不自然に明るい桐人の声がこう言った。
『ううん。もうこっちには帰って来ないつもり』
「帰って来ない、って……」
『じゃあね、沢野。……素敵なお母さんになるんだよ』
「先生、待っ――!」
夏耶の言葉を遮るように、電話はそこでプツリと切れてしまう。
(今の……どういう意味……? 先生はどこへ行くの……?)
夏耶はスマホを呆然と見つめながら、しばらくそこに立ち尽くしていた。