恋愛渋滞 〜踏み出せないオトナたち〜
「……ああ、丈二さんね。わかった、貸して」
(どうせ、向こうのロースクールへの誘いだろ……)
豪太から受話器を受け取った桐人は、電話の向こうの“ジョージ”という人物に心当たりがあった。
彼もまた弁護士であり、活動拠点を日本からアメリカへと移して数年。
日本にいるときに親交のあった桐人にたまにこうして連絡をしてきては、“海外の法律事情も知っておけ”と、渡米を進めてくるのだ。
「……行きたくないわけじゃないですけど、二人の部下はまだ若いし、一人はまだ試験にも受かってません。彼女が合格するのを見届けるまでは、日本を離れる気はありません」
聞こえてくる会話の内容を耳にして、豪太の中ではなぜ桐人が日本語を使っているのかという疑問よりも、不安が勝っていた。
今の言い方は裏を返せば、夏耶が司法試験に合格したのを見届けた後なら、この事務所を離れることもあり得るということだ。
桐人が電話を切った姿を確認すると、豪太は聞かずにはいられなかった。
「……相良さん。今の電話……」
「ああ、聞こえた? ……まあ、当分はここにいるからそんな不安がる必要はないよ。ま、いつ俺がいなくなっても困らないように、日々精進しておいてもらえると助かるけど」
桐人は椅子から立ち上がると、デスクの傍らに立つ豪太の肩をポンと叩き、壁の時計を見上げる。
あと十五分で、午後一時だ。
「今日はもう店じまいにしよう。全然やる気出ないし腹も減ったし」
「……俺は少し残ります。一時までは電話かかってくるかもしれないし……」
「そう? 真面目な部下を持つと助かる。じゃあ、お先」
手をひらひらとさせて事務所を出て行った桐人は、ビルの階段を降りるとポケットからスマホを出し、どこかに電話を掛け始めた。
彼の視線の先では、先日降った雪が泥混じりになって歩道の脇に積もっている。
(都会の雪は、すぐ汚れるな……)
そんなわかりきったことを心の内で呟いてしまうのは、耳元で呼び出し音が途切れるごとにガラにもなく緊張する自分を、桐人はなんとか誤魔化したいからだった。