恋愛渋滞 〜踏み出せないオトナたち〜
仕事中以外で、夏耶が桐人のこんな真剣な表情を見るのは初めてだった。
手首を握る桐人の手が離されると、夏耶は気まずそうに椅子に座り直して、遠慮がちに口を開く。
「……何か、あったんですか?」
「“あった”……じゃない。“これからある”……だ」
「……私に、何かできることって……」
「それは……」
夏耶を自分のものにしたい。それは桐人の本心であり、本心でなかった。
なぜなら、彼の気持ちは、夏耶の笑顔を奪うようなことはしたくないというのが大前提にある。
……実をいうと桐人は、過去に一度、夏耶を泣かせたことがあったから。
(無理矢理に彼女を手に入れたって、きっと心は満たされない――。)
そう思うと、彼の本当の願いは、口から出る前に飲みこまれてしまうのだった。
「……ゴメン。今のナシ。せっかく所長がおごるって言ってんだから、遠慮しないでもっと食べて?」
「……はい。食べます、けど……」
「何? アンニュイな俺もカッコいいとか思ってくれた?」
「違います……!」
桐人にいつもの調子が戻ってくると、夏耶も安心して彼に冷たくできた。
さっきの彼は何だったのだろう。そう思わなくもなかったが、桐人は抱えている仕事も多いし、彼だって悩む時くらいあるよねと納得し、楽しい食事に集中することにした。
コースは進んでいき、デザートのパンナコッタが運ばれてくると、夏耶は両手を合わせて「わぁ……」とうっとりした声をもらす。
それに対してくすくす笑う桐人を見て、きっと自分は子ども扱いされているのだろうと、彼女は少し不貞腐れる。
けれど、それでも構わないと開き直り、皿の上でふるふると揺れる白いデザートの味に身悶える夏耶は、桐人の悩みの原因が自分にあるだなんて、夢にも思わないのだった。