恋愛渋滞 〜踏み出せないオトナたち〜
最後の選択肢を頭に浮かべた瞬間、いまだ耳に残る琴子の録音が脳内で勝手に再生されて、桐人は狼狽えそうになる自分を、必死で押し隠した。
「今日は飲み過ぎないように気をつけますね」
事務所を出てバーに向かう途中、桐人の隣で夏耶が照れ笑いを浮かべ、そう話す。
そんな仕草ひとつで胸の高鳴りを覚えた桐人は、歩いてる途中、無意識にぶつかった彼女の手を取って、ゆるく握った。
夏耶の手は指先まで冷えていたから、あたたかい感触に包まれるのはありがたいことではあったが、自分と桐人が手を繋ぐ理由はないと、怪訝そうに彼を見上げる。
けれど桐人は進行方向を見つめたまま、夏耶の手を自分のチェスターコートのポケットに突っ込んだ。
「……先生?」
「あんま見ないでくれる? ものすごい恥ずかしいから」
「でも、あの、この手……」
「うーん、十代の頃に駆使したワザ、今やるとこんな照れるんだな……」
夏耶の抱いている疑問は当然わかっているが、適当にはぐらかしながら、桐人は彼女の手の感触に全神経を集中させていた。
彼女の柔らかく小さな右手は、握り返すことはないけれど、振りほどこうともしない。
そんなことくらいで淡い期待をしてしまうのは、いつぶりのことだろう。