恋愛渋滞 〜踏み出せないオトナたち〜
9.Crossroad
――四月。
桜の花はほとんど散り、事務所脇の歩道に植えられたハナミズキが開花したころ、夏耶が事務所にマスクをして来るようになった。
「……沢野さん、花粉症?」
「ううん。たぶん、風邪、かな……」
豪太の問いに、力ない笑顔を向けて応える夏耶を見て、桐人は心配していた。
最近の夏耶は、仕事中も少しの空き時間を見つければ試験勉強に充てていて、家でもあまり眠っていないみたいだ。
試験日まで一カ月を切ったところで、当然の勉強量と言えばそうなのだが、体調を崩したら元も子もない。
桐人は夏耶に向かって、こう提案した。
「沢野……しばらく休んだら? 事務仕事は中野にやらせればなんとかなるし、今は試験勉強と体調管理の方が大事だよ」
「先生……でも」
「沢野が休んでる間“だけ”は俺もマジメになるつもりだしさ。試験に受かることが、のちのちはこの事務所のためになるわけだから」
バーに行ったあの夜以降、桐人の様子におかしいところはなく、夏耶や豪太があこがれる“弁護士相良桐人”の顔をしている時間が増えた。
しかし、正直なところ、夏耶は晴れて弁護士になったら、このまま桐人の下で働くことが自分にとってベストなのかわからなくなっていた。
もちろん先のことは、受かってから考えればいいとは思う。
けれど桐人からそんな風に言われると、夏耶は少しの罪悪感に胸がちくりと痛んだ。
「じゃあ……お言葉に甘えて」
「うん。今も顔色悪いし、このまま早退しちゃいな」
「すみません……豪太くんも、ごめんね」
「全然平気です。お大事にしてください」
二人に向かって申し訳なさそうに頭を下げた夏耶は、荷物をまとめるとふらつくような足取りで、事務所を後にする。