極道に愛されて。
たしかに、危険があるのは確かだけど、どれほどの危険が日常生活の中であるのかなんてわからない
だけど
「危険があることは分かってる。だけど、琉斗さんは、私よりも危険が多いんでしょ?」
“若”という立場上、それは当たり前だ
「琉斗さんが少しでも救われるなら、私はどうなったって構わない。」
自分がどれだけ無茶苦茶なことをいってるのか、それはわかってる
お父さんとお母さんが、“わかった”なんて言うわけないこともわかってる
「捺希、自分がどれだけのことを言っているのか分かっているのか?」