恋色キャンバス~君がおしえてくれた色~
僕色
「僕の本当の親も、画廊をしていたんだ。
小さい時から、絵に囲まれた生活。
そんな中、僕は、沢山の美術品を
模写し始めた。
何歳だったか、分からないけど、
物心付いたときにはもう描いてた。
それで、六歳の時。
自分の描いた作品を出した。
全部、高値で売れた。
当時はお金とかよく分からなかったけど、
親に沢山、褒められて嬉しかった。
それから、沢山描いて、褒められて、
嬉しくて堪らなかった。
でも、十歳の時。
スランプで、殆ど描けなくなった。
父も母も態度が豹変した。
それから、可笑しくなっていったんだ。
親は、絵を描けなくなった、僕に対して、
『絵しか描くしか能がないんだから、
さっさとかけ!』
『役立たずは必要ないのよ!』
って、暴言を毎日のように浴びせられて、
壊れそうだった。
今思えば、心理的虐待ってやつだったん
だよね。
心理的虐待は認知しにくい上に、
大人になって、精神病にかかりやすい。
僕も色々、パニック的なの起こしやすいし
影響出てるのかな。
それに、
時には、絵が完成するまで、部屋から
出してくれない。
学校すら行かせない。
けど、食事だけはちゃんと出た。
食事と言っても
菓子パンとミネラルウォーター
それだけ。
けど、学校にずっと行かないっていうのも
怪しまれるから、
週に二回は学校に行ってた。
病弱な子供、母の中で僕は、
そういう設定だったらしい。
まぁ、実際、食事も満足にとれず、
学校行く以外、外に出れないから、
背も小さくて、ひょろひょろだったから、
誰かに言わない限り、ばれない。
『ばらしてみろ、どうなるか。
分かってるのか。』
それで、一回、包丁ちらつかされた事が
あった。
そんな中で、作品を描いた。
売れていって、親も満足していた。
家にいても、学校にいても気が休まる時が
なくて、無理が祟って倒れたときが
あった。
病院に運ばれた。
家に帰ったら、殺されると思った。
けど、親は、心配そうな顔で病室に
入ってきた。
その時は、ちゃんと愛しているから、
心配して来てくれると思ってた。
でも、それは、大きな間違えだった。
先生の前では、
『この子は、無理をしてしまう子なので、
心配していたのですが…』
何て、いい母を演じて、誰もいなくなると
『何で、こんなことしなくちゃならない
のよ、本当、迷惑かけないでよ。
役立たず』
何て、言われて、
心が悲鳴をあげてた。
誰かに今の事を言えば、殺される。
言わなければ、自分が壊れる。
そう、思ってた。
退院しても、また、同じ生活に戻るだけ
だった。
息苦しくて
今にも、窒息しそうだった」