きみと駆けるアイディールワールド―青剣の章、セーブポイントから―
エピローグ
いつか、会えたなら
明治の世が四十五年、過ぎて終わった。大正の世を四年、生きた。
オレは、刀の道で身を立てようと決めて、以来、ただまっすぐに進んできた。
幕末の動乱を戦い抜いた。
オレは会津の男として戦い、敗れた。会津の皆は、まるで囚人扱いだった。不毛で極寒の地へ押し込まれ、それでも必死で耐え忍び、生き延びた。
時代の移ろいは目まぐるしい。負け犬暮らしも長くはなかった。会津の皆もそれぞれに、生きる道をつかみ取った。
東京と名を改めた江戸で、オレは刀の腕を買われて警察官になった。あれほど激しく対立した新政府軍の手下だ。だが、オレは別に平気だった。生きていけるなら、それでいい。洋式の黒い制服をまとって、西南の役にも行った。
オレはいつしか、新撰組の斎藤一と呼ばれることもなくなっていた。
幕末の戦が収束した後、妻をめとった。会津の女だ。忍耐強くて、ふところが深い。おっとりしているようで、芯がある。肌は、会津に降る雪のように白い。美しい女だと思う。
祝言《しゅうげん》の日、幸せというものを知った。
仲人は、会津の殿さまが務めてくださった。おめでとう、幸せそうだなと、会津の殿さまはオレに微笑みかけてくださった。だからオレは、これが幸せなのかと知った。頬が緩むのと、涙が出そうなのと、両方とも、うまく抑えておけなかった。
子どもにも恵まれた。男児ばかり三人だ。剣術はひととおり教えた。でも、明治生まれの息子たちはハイカラだ。学問やら外国やらのほうが気になる様子だった。好きな道を行けばよい、と言ってやった。オレのような頑固者でなくていい。
血煙をあげて戦ってきたつもりだった。だが、振り返ってみると、案外、他愛ないな。こんな人生も、嫌いじゃない。
不意に、クスクスと、なつかしい仲間が笑う声がする。
「ビックリだなぁ。斎藤さんに、のろけ話を聞かされるなんて。そもそも、こんなおじいさんになるまで生きるって、ちょっと信じられないよ」
オレは理解する。さすがにそろそろなのだ、と。この体とはお別れだ。
数日前に病に気付いて、そのままストンと悪化した。妻の手も、さほどわずらわせずに逝ける。人斬りのくせに、なんて平穏な幕切れだろう。
オレの唇はもう動かない。まぶたも開かない。
でも、沖田さんに言い返すことはできる。
「いい女をつかまえたんだ。自慢くらいさせろ」
「つかまえられたのは、斎藤さんのほうでしょ? すっかり手なずけられて、幸せそうで。確かに、いい奥さんだね」
ふわりと、体が軽くなった。オレは背筋を伸ばして上がり、老人のオレを見下ろしている。
「七一年、生きた」
ピクリとも動かないしわの寄った左手の甲には、青白い円環の紋様がある。あの手で幾人、斬っただろう? 十九のころに初めて人を殺めて、それから先、数えていない。
隣に気配がある。
「なつかしいね、その格好。うん、斎藤さんは、そうでないと」
そちらを向けば、沖田さんが元気な姿で笑っている。
鏡を見るように、オレは自分がどんな格好をしているかに気が付いた。沖田さんたちとともに過ごした、あのころの自分だ。浅葱《あさぎ》色のだんだら模様の羽織が、ありもしない風になびいた。
「今世も、違うことなく、斎藤一を生きた。新撰組の皆の魂は円環の呪いから救えた」
「世話かけちゃったね。ほら、行こうよ。みんな転生もせずに待ってたんだよ。斎藤さんがこっちへ来るのを」
沖田さんが先を歩き始める。
廊下から、楚々とした足音が聞こえてきた。妻がオレに薬でも持ってきたんだろう。
「すまんな。ありがとう」
オレはつぶやいて、振り返らずに歩き出す。
景色が揺らぐ。花が咲いている。満開の桜、舞い続ける花びら。大きな桜の木の下で、男たちがくつろいでいる。
近藤さん、土方さん。山南さん、藤堂さん、源さん。ほかにも、先に逝った仲間たち。
黒猫が一匹、ピョンと駆けて来た。沖田さんがそれを抱き上げる。白いハトが頭上を飛んでいる。
沖田さんが手を振って、おーい、と呼びかけた。仲間たちがこちらに気付く。笑顔が弾けた。
なつかしい。
永遠に続いてほしかった安らぎが再び、魂の旅の合間のひとときに巡り会う。
生まれてよかった、生きてよかったと、オレは思った。
オレは、刀の道で身を立てようと決めて、以来、ただまっすぐに進んできた。
幕末の動乱を戦い抜いた。
オレは会津の男として戦い、敗れた。会津の皆は、まるで囚人扱いだった。不毛で極寒の地へ押し込まれ、それでも必死で耐え忍び、生き延びた。
時代の移ろいは目まぐるしい。負け犬暮らしも長くはなかった。会津の皆もそれぞれに、生きる道をつかみ取った。
東京と名を改めた江戸で、オレは刀の腕を買われて警察官になった。あれほど激しく対立した新政府軍の手下だ。だが、オレは別に平気だった。生きていけるなら、それでいい。洋式の黒い制服をまとって、西南の役にも行った。
オレはいつしか、新撰組の斎藤一と呼ばれることもなくなっていた。
幕末の戦が収束した後、妻をめとった。会津の女だ。忍耐強くて、ふところが深い。おっとりしているようで、芯がある。肌は、会津に降る雪のように白い。美しい女だと思う。
祝言《しゅうげん》の日、幸せというものを知った。
仲人は、会津の殿さまが務めてくださった。おめでとう、幸せそうだなと、会津の殿さまはオレに微笑みかけてくださった。だからオレは、これが幸せなのかと知った。頬が緩むのと、涙が出そうなのと、両方とも、うまく抑えておけなかった。
子どもにも恵まれた。男児ばかり三人だ。剣術はひととおり教えた。でも、明治生まれの息子たちはハイカラだ。学問やら外国やらのほうが気になる様子だった。好きな道を行けばよい、と言ってやった。オレのような頑固者でなくていい。
血煙をあげて戦ってきたつもりだった。だが、振り返ってみると、案外、他愛ないな。こんな人生も、嫌いじゃない。
不意に、クスクスと、なつかしい仲間が笑う声がする。
「ビックリだなぁ。斎藤さんに、のろけ話を聞かされるなんて。そもそも、こんなおじいさんになるまで生きるって、ちょっと信じられないよ」
オレは理解する。さすがにそろそろなのだ、と。この体とはお別れだ。
数日前に病に気付いて、そのままストンと悪化した。妻の手も、さほどわずらわせずに逝ける。人斬りのくせに、なんて平穏な幕切れだろう。
オレの唇はもう動かない。まぶたも開かない。
でも、沖田さんに言い返すことはできる。
「いい女をつかまえたんだ。自慢くらいさせろ」
「つかまえられたのは、斎藤さんのほうでしょ? すっかり手なずけられて、幸せそうで。確かに、いい奥さんだね」
ふわりと、体が軽くなった。オレは背筋を伸ばして上がり、老人のオレを見下ろしている。
「七一年、生きた」
ピクリとも動かないしわの寄った左手の甲には、青白い円環の紋様がある。あの手で幾人、斬っただろう? 十九のころに初めて人を殺めて、それから先、数えていない。
隣に気配がある。
「なつかしいね、その格好。うん、斎藤さんは、そうでないと」
そちらを向けば、沖田さんが元気な姿で笑っている。
鏡を見るように、オレは自分がどんな格好をしているかに気が付いた。沖田さんたちとともに過ごした、あのころの自分だ。浅葱《あさぎ》色のだんだら模様の羽織が、ありもしない風になびいた。
「今世も、違うことなく、斎藤一を生きた。新撰組の皆の魂は円環の呪いから救えた」
「世話かけちゃったね。ほら、行こうよ。みんな転生もせずに待ってたんだよ。斎藤さんがこっちへ来るのを」
沖田さんが先を歩き始める。
廊下から、楚々とした足音が聞こえてきた。妻がオレに薬でも持ってきたんだろう。
「すまんな。ありがとう」
オレはつぶやいて、振り返らずに歩き出す。
景色が揺らぐ。花が咲いている。満開の桜、舞い続ける花びら。大きな桜の木の下で、男たちがくつろいでいる。
近藤さん、土方さん。山南さん、藤堂さん、源さん。ほかにも、先に逝った仲間たち。
黒猫が一匹、ピョンと駆けて来た。沖田さんがそれを抱き上げる。白いハトが頭上を飛んでいる。
沖田さんが手を振って、おーい、と呼びかけた。仲間たちがこちらに気付く。笑顔が弾けた。
なつかしい。
永遠に続いてほしかった安らぎが再び、魂の旅の合間のひとときに巡り会う。
生まれてよかった、生きてよかったと、オレは思った。