きみと駆けるアイディールワールド―青剣の章、セーブポイントから―
★失恋 しつれん
そこは小さなイングリッシュガーデンだった。伏せたお椀のようなガラスドームに覆われている。背の高い建物に囲まれて、空は狭く切り取られていた。
建物の三階よりも低いガラスドームの内側には、柔らかな熱を放つ人工太陽がほのかに輝いている。青々とした芝生。満開の秋バラが、さわやかで甘い香りを放っていた。
芝生の上で、壮悟くんは倒れ込んだ。もちろん、あたしも巻き添えにして。
「……ゃっ……!」
「ゴメン……しばらく……」
仰向けの背中の下に、あたしを抱きかかえる壮悟くんの腕がある。
息が、できない。
心臓がドキドキしすぎて、苦しい。
これは事故。これは偶然。壮悟くんは貧血を起こして、自由に動けなくて、だから、これは仕方のない状況で。
わかっている。ドキドキする必要なんてないはずなのに。
あたしの耳元で震える、壮悟くんの呼吸。やせていても、骨が太くて体じゅうが硬くて、ずっしりと重い。あたしのものとは違う肌の匂いがする。
壮悟くんのニット帽が、あたしの頬をこする。
重なり合った胸。鼓動が響き合っている。生きて動いている心臓が二つ。
鼓動って、一生懸命な音だ。愛しい、と感じた。
その命が、その鼓動が、尊くて愛しい。
単純に、純粋に、切ないほど、泣きたくなるほど、この鼓動と体温が大切で。
この気持ちは何?
生きているんだなって、急に強く感じた。あたしひとりじゃなくて、こうやって鼓動と体温を重ねているから。
どれくらいの間、そうしていたんだろう?
たぶん、長い時間だった。でも、一瞬だったような気もした。
いつの間にか、壮悟くんの呼吸が落ち着いている。胸のドキドキは速いままだった。あたしの胸の鼓動も走りっぱなしだ。
あたしの背中の下で、壮悟くんの腕が動いた。そっと引き抜かれる。壮悟くんが芝生に両手を突いた。そして、ゆっくり体を浮かせた。
呼吸が楽になった。
壮悟くんが、あたしの顔を見下ろした。まだ青白い顔をしている。血がにじんだ唇、深い色と澄んだ光を宿した目。
目尻に、うっすらと涙があるのは、苦しかったせいだろう。怖かったせいでもあるだろう。自分の体が壊れていくように感じるときは、ただただ、絶望に呑まれてしまう。目の前が真っ暗になるような気持ちになるから。
あたしは、微笑んでみせた。
「生きてますよ。大丈夫。ね?」
壮悟くんは息を呑んだ。その目の奥に、キラリと、驚きに似た何かが走り抜けた。
次の瞬間。
視界いっぱいに壮悟くんの黒い瞳があった。
唇に、感触。
カサリと乾いて柔らかいもの。弾力があって、少し冷たい。
これは、唇……?
壮悟くんの目に、あたしの目が映り込んでいる。合わせ鏡みたいに、一つの情景が、いくつも見えた。
キス、されている。
壮悟くんがまぶたを閉じる。まつげの長さに驚かされる。肌の匂い。皮膚の熱。
一瞬、唇が離れた。すぐに再び落とされるキス。
どうして?
少し温まった壮悟くんの唇が柔らかい。甘い。とても甘い。頭が痺れてくる。
あたしはキスをしている。
その時間は唐突に終わった。唇が離れた。あたしはまぶたを開いた。いつの間に目を閉じていたんだろう?
壮悟くんはまだ、あたしを体の下にとらえている。壮悟くんは、静かな目をしていた。不思議そうでもあった。
「人間って、動物なんだな。急に、食べたいって思った。本能ってやつ? 衝動に抵抗できなくて。気付いたらキスしてた」
意味がわからない。
あたしは我に返った。あたしの好きな人は、ほかにいるのに。
「からかわないでください」
ファーストキスだった。
「からかってるわけじゃない」
まっすぐな目にのぞき込まれる。さっきの合わせ鏡を思い出した。
あたしも同じだった。
壮悟くんを動かしたのが本能なら。とろけそうになったあたしも同じだ。本能に抵抗できなかった。キスはとても甘かった。ずっとずっと唇を重ねていたいくらいに。
どうして?
あたしは恋をしている。あたしが好きな人は、壮悟くんじゃない。
「どいてください」
あたしは横を向いた。壮悟くんの腕が視界に入った。手首の骨の形が、あたしとは違う。ずいぶんゴツゴツしている。
この腕に抱きしめられたんだ。そう思ったら、また胸のドキドキが速くなった。
壮悟くんは素直に体を起こした。あたしも起き上がった。
建物の三階よりも低いガラスドームの内側には、柔らかな熱を放つ人工太陽がほのかに輝いている。青々とした芝生。満開の秋バラが、さわやかで甘い香りを放っていた。
芝生の上で、壮悟くんは倒れ込んだ。もちろん、あたしも巻き添えにして。
「……ゃっ……!」
「ゴメン……しばらく……」
仰向けの背中の下に、あたしを抱きかかえる壮悟くんの腕がある。
息が、できない。
心臓がドキドキしすぎて、苦しい。
これは事故。これは偶然。壮悟くんは貧血を起こして、自由に動けなくて、だから、これは仕方のない状況で。
わかっている。ドキドキする必要なんてないはずなのに。
あたしの耳元で震える、壮悟くんの呼吸。やせていても、骨が太くて体じゅうが硬くて、ずっしりと重い。あたしのものとは違う肌の匂いがする。
壮悟くんのニット帽が、あたしの頬をこする。
重なり合った胸。鼓動が響き合っている。生きて動いている心臓が二つ。
鼓動って、一生懸命な音だ。愛しい、と感じた。
その命が、その鼓動が、尊くて愛しい。
単純に、純粋に、切ないほど、泣きたくなるほど、この鼓動と体温が大切で。
この気持ちは何?
生きているんだなって、急に強く感じた。あたしひとりじゃなくて、こうやって鼓動と体温を重ねているから。
どれくらいの間、そうしていたんだろう?
たぶん、長い時間だった。でも、一瞬だったような気もした。
いつの間にか、壮悟くんの呼吸が落ち着いている。胸のドキドキは速いままだった。あたしの胸の鼓動も走りっぱなしだ。
あたしの背中の下で、壮悟くんの腕が動いた。そっと引き抜かれる。壮悟くんが芝生に両手を突いた。そして、ゆっくり体を浮かせた。
呼吸が楽になった。
壮悟くんが、あたしの顔を見下ろした。まだ青白い顔をしている。血がにじんだ唇、深い色と澄んだ光を宿した目。
目尻に、うっすらと涙があるのは、苦しかったせいだろう。怖かったせいでもあるだろう。自分の体が壊れていくように感じるときは、ただただ、絶望に呑まれてしまう。目の前が真っ暗になるような気持ちになるから。
あたしは、微笑んでみせた。
「生きてますよ。大丈夫。ね?」
壮悟くんは息を呑んだ。その目の奥に、キラリと、驚きに似た何かが走り抜けた。
次の瞬間。
視界いっぱいに壮悟くんの黒い瞳があった。
唇に、感触。
カサリと乾いて柔らかいもの。弾力があって、少し冷たい。
これは、唇……?
壮悟くんの目に、あたしの目が映り込んでいる。合わせ鏡みたいに、一つの情景が、いくつも見えた。
キス、されている。
壮悟くんがまぶたを閉じる。まつげの長さに驚かされる。肌の匂い。皮膚の熱。
一瞬、唇が離れた。すぐに再び落とされるキス。
どうして?
少し温まった壮悟くんの唇が柔らかい。甘い。とても甘い。頭が痺れてくる。
あたしはキスをしている。
その時間は唐突に終わった。唇が離れた。あたしはまぶたを開いた。いつの間に目を閉じていたんだろう?
壮悟くんはまだ、あたしを体の下にとらえている。壮悟くんは、静かな目をしていた。不思議そうでもあった。
「人間って、動物なんだな。急に、食べたいって思った。本能ってやつ? 衝動に抵抗できなくて。気付いたらキスしてた」
意味がわからない。
あたしは我に返った。あたしの好きな人は、ほかにいるのに。
「からかわないでください」
ファーストキスだった。
「からかってるわけじゃない」
まっすぐな目にのぞき込まれる。さっきの合わせ鏡を思い出した。
あたしも同じだった。
壮悟くんを動かしたのが本能なら。とろけそうになったあたしも同じだ。本能に抵抗できなかった。キスはとても甘かった。ずっとずっと唇を重ねていたいくらいに。
どうして?
あたしは恋をしている。あたしが好きな人は、壮悟くんじゃない。
「どいてください」
あたしは横を向いた。壮悟くんの腕が視界に入った。手首の骨の形が、あたしとは違う。ずいぶんゴツゴツしている。
この腕に抱きしめられたんだ。そう思ったら、また胸のドキドキが速くなった。
壮悟くんは素直に体を起こした。あたしも起き上がった。